一元の単数の大きな物語が破局にいたるとやっかいである(正統性が失われて、神話作用が通用しなくなる)

 安倍晋三首相の、政治における将来には疑問符がつく。安倍首相の夫人が縁故主義による政治の疑惑に関わっているのがあるためである。イギリスのガーディアン紙では、そのように報じられているという。

 安倍首相のもとでの政治のあり方は、民主主義というよりも権威主義によっていた。かりにそのように言うことができるとして、一強多弱となっていたのがあり、首相の政治における将来はそれほど不安定ではなかったのがありそうだ。支持率が高めだったのがあるので。夫人がかかわる政治の疑惑が大きくとり沙汰されるまではそこまで不安定ではなかったけど、とり沙汰されるようになったことで、話が変わってきたようである。

 権威主義の体制では、国民一人ひとりがもつばく然とした心理の不安感をたくみに利用する。自我の不確実感をもつ個にたいして呼びかけをすることで、権威にとって都合のよい主体が形づくられる。権威にすがらせるようにする。何ごともないのであれば、平穏なありようがつづく。しかしいったんことが起きればごたごたの混乱をまねく。

 権威主義では、強い長とそれに従う個という図式になる。強い長は、個がもつ超自我(上位自我)の虚焦点となる。強い長に個の超自我が投射されることになる。強い長は父であり、個(子)はそれに従う。非対等なあり方である。父権主義(パターナリズム)がとられることになり、積極の自由となる。積極の自由は何々への自由であり、本来の自由であるとは言いがたい。干渉の不在である消極の自由がとられづらい。消極の自由は、何々からの自由だとされる。

 ギリシア語では、クロノスとカイロスというものがあると言う。クロノスは量による時系列(シークエンシャル)なものである。線による流れである。カイロスは質によるものであり、前と後とで質が変わってしまうようなものであるそうだ。クロノスの時間の流れを切断する非連続のものがカイロスである。カイロスは危機の時間であるとも言われる。緊迫の濃さがしだいに増してゆくような、終末論の意味あいをもつのがカイロスだ。

 何ごともないあり方としては、クロノスによる時間によっている。その時間によるありようがずっとつづいているところに、カイロスの時間がおきる。この時間は、機会(チャンス)によるものであり、それが到来したことをあらわす。機会による時間性がカイロスである。

 クロノスの時間は通常の線の流れによる時間表象であり、陶酔による。それが破られることでカイロスの時間となり、覚醒がおきる。目ざめになる。目ざめとはいっても、それは見せかけにすぎず、じっさいには陶酔であることもないではないから、気をつけないとならない。

 権威主義では、参与(コミットメント)がしだいに上昇していってしまうので、ゆでがえる現象がおきかねないのがある。気がついたらゆで上がっていたということになる。そうなってしまってはまずいので、参与が上昇しすぎてしまわないようにして、離脱(デタッチメント)ができるようにするのが、自由民主主義の体制だと言えそうだ。包摂性と競争性をとり、説明責任を果たす。多元のあり方となる。権威主義による一元のあり方であると、その一元が保たれているときは平穏だけど、いざとなり、一元となっているものがおかしくなると、総崩れとなってしまう。

 一元のあり方だと、それが保たれているときは平穏なのはあるが、閉じてしまっているあり方だから、一つの大きな物語になってしまっているのがある。その大きな物語は、現実とぴったりと合っているものとは言いがたい。現実にはずれがあるわけであり、矛盾がおきている。ずれや矛盾を認めずに、教条主義のようにして押し通すのであれば、やがて現実のずれや矛盾が大きくなって、手に負えなくなることになりかねない。うまくずれや矛盾を処理できればよいけど、それができないと、一元である大きな物語破局をむかえることになる。かかえこんでいた乱雑さ(エントロピー)を吐き出すことができなくなったためである。

 神の死が言われているのがあるので、最高価値は成り立ちづらく、没落している。神々の争いとなる。価値の多神教である。神々の争いでは、唯一の最高の価値をとることはできない。争い合うわけだから、不安定ではあるけど、お互いがお互いを相対化し合うことで、うまくすれば絶対化するのを避けられる。多元になることで安定を呼びこむ。一元のあり方はかえって(いざというさいに)不安定だ。一つの神さましかいないのだとして、それは最高価値のものとして偽ったものでしかない。神が神として安定しているようでいて、じっさいには不安定であり、反対物(悪魔)へ転化することもある。じっさいには唯一の最高価値として揺るぎないものは成り立たない。虚偽意識(イデオロギー)におちいるのを避けられないものである。