適した人材登用の反証可能性(合理性の限界)

 登用は適材適所だった。理財局長としても国税庁の長官としても適任だった。しかし世間をお騒がせしたことについて、その責任をとるために辞任をする。行政の決裁文書への信頼を損ねて、国会の審議を滞らせてしまい、国会の答弁においてていねいさを欠いた。こうした理由により、国税庁の長官からの職を辞する申し出があり、辞任を認めることになった。

 麻生太郎財務相はそのように述べたという。麻生氏としては、理財局や国税庁の長に当たる人を任命した人事を、あくまでも正しいものだったとしたいのだろう。これが正しいものだったのかどうかは疑うことができる。

 一つの推しはかりとして、長として適材適所であるのなら、世間を騒がせることはないはずである、とできる。世間を騒がせてしまうような人は、長として適材適所であるとは言いがたい。少なくとも疑問符がつく。世間を騒がせたということがあるのであれば、適材適所ではない(かもしれない)と見なければならない。

 世間を騒がせてしまったけど、長として適材適所である、というのはちょっと無理がある。世間が勝手に騒いだのにすぎないとしてしまうことはできづらい。適材適所ではない人が長としているから、世間(の一部)が騒いでいるのがある。世間の人たちは有権者であるため、国民主権主義からすると、その声は無視できそうにない。世間の判断が民意に近いと言えそうである。みんながみんな騒いでいるわけではないだろうから、民意そのものとは言えないかもしれないが、切実な民意の一つだとは言えそうである。

 適した人が長になることは、そこまで多いものではない。一般論としていってもそうしたことが言えるのがある。ローレンス・J・ピーターによるピーターの法則というのがあるそうで、これによると、人は自分が持っている能力の限界まで昇進するのだという。階層社会における労働者のあり方だ。

 ある人が能力をもっているとして、その能力をもった人が有能でなくなるまで地位の階段をのぼってゆく。ある人が有能でなくなったところで昇進はとまり、その地位に居座ることになる。有能ではなくなった人が上の地位にいて、そこに居座りつづけられると、下の者を阻害してしまいかねない。下の者を阻害しているのにもかかわらず、それには気づかずに、または気がついていても、上の地位にいつづけられるとやっかいだ。下の者が阻害されずに満足していられるようでないとならない。

 上のほうの地位にいてなおかつ有能な人もなかにはいるだろうから、色々であることはたしかである。上のほうの地位にいる人がすべて有能ではないというのは言えそうであり、必ずしも適材適所ではないことは少なくはない。ほんとうに適した人が上のほうの地位にいるのかを改めて見ることができる。政治が関わってくるところである。適した人が上の地位にいるのかどうかは、正統性が関わってくる。実質の正統性を見いだしづらいことは少なくない。そうだからといって、抗いがたいこともあり、従わざるをえないこともある。従っているからといって、実質として正しいことだとは必ずしも言えそうにない。