代理人費用を支払うことにたいする吝嗇(りんしょく)のつけが大きくなりすぎるとあとではなはだやっかいである

 政治家と役人がお互いに協力し合う。国会において、お互いに足並みのそろった受け答えをする。役人が政治家のためになり、政治家が役人のためになる。持ちつ持たれつというふうだ。政治家を手助けした役人は、あとで厚いもてなしと報奨を受ける。なあなあのあいだがらとなってしまう。

 なあなあのあいだがらになってしまうと、代理人費用(エージェンシー・コスト)が支払われなくなる。その費用が支払われないことにより、あとで大きなつけがおきてしまう。大きなつけを支払わないとならないようなことになる。

 日ごろからきちんと代理人費用を支払っていれば、あとで大きなつけを支払わないとならないようなことにならずにすむ。なあなあのあいだがらにならないように努めるようにするわけである。

 代理人費用を支払うのをけちってしまうと、権力が分散されるのが損なわれがちになる。抑制と均衡(チェック・アンド・バランス)がとりづらい。権力が一か所に集約されやすくなるので、効率はよくなるかもしれないが、適正さや公正さが欠けてしまいかねない。

 代理人費用をきちんと支払うのは、ちがう考えをもったありようを認めることになる。ちがう考えをもったありようを認めないで拒むのだと、代理人費用をけちることになる。ちがう考えをもったありようを認めないで拒んでしまうと、考えが分散されなくなり、一つに集約されがちとなる。その考えがもしまちがっているとすると、総崩れのようなことになってしまう。不安定である。

 不安定であるのを避けて安定させるようにするためには、代理人費用をきちんと支払うことがいりそうだ。ちがう考えをもったありようをうとんじないで、あるていどは認めることがあるとよい。同じ考えをもつありようばかりを歓迎しないようにする。

 同じ考えであるのだけだと、一つしかないのだから、投資でいうと一点張りのようなことになる。一つの対象だけに投資するのは安全ではない。いくつもの対象に分散させておいたほうが危険さは少ない。いくつもの対象に分散させておくことで、危険さをヘッジさせることができる。代理人費用を支払うことになるわけである。つり合いを大きく損ねないようにするための費用である。

 同じ考えをもつありように協力を求める。それで友とする。協力してくれないような非協力のありようをとるのを敵とする。このように分けてしまうと、同じまたは似たような考えをもったありようで固まることになるので少なからず危うい。

 全面として自分たちに協力してくれることが益になるとはかぎらないし、非協力なのがすなわち不益になるともかぎらない。非協力なのが不益にならずに益になることがあるというのは、非協力だからといってそれをすぐに遠ざけないようにすることで、代理人費用を支払うことになるのがある。非協力なのにも理があるとすることができて、それを受け入れることができれば、一か所に集約しすぎてしまうのを防いで、分散させることにつなげられそうだ。そうすると安定しやすくなるのがある。

 なぜ代理人費用を支払うのをけちってしまうのか。色々な理由がありそうだけど、一つには、いさぎよさをもってしてよしとしてしまうのがあげられる。いさぎよさにより、自分たちと同じ考えをもち協力してくれるありようをすぐに友と見なす。そうでないありようのものをすぐに敵と見なす。いさぎよく分けてしまうようなあり方である。

 いさぎよく分けてしまうと、ねばりがとれなくなる。いさぎよく分けてしまうのではなくて、ねばりを持ったほうがよいことが少なくない。ひとくちに友といっても、悪い友もいるし、悪い協力もある。ひとくちに敵対といっても、よい敵対もあるし、よい非協力もある。よい友やよい協力ばかりではなく、また悪い敵対や悪い非協力ばかりでもない。よい友やよい協力を利用しようとするだけではなく(それが絶対に悪いことだとは言えないのはあるが)、敵対や非協力を逆利用することもあればよい。逆利用するというのは、そこに理を見いだすのができることがあるから、そこを尊重するものである。