出演者への忖度をするのはどうなのだろう(よかれと思ってのことだからよしとなるとは必ずしも言えない)

 戦争がおきたとする。そうなると、ふだん日本の大都市などに潜伏している北朝鮮のテロリストが、日本をおとしいれるために動きはじめる。そのような発言が、テレビ番組の中で語られたという。その発言をした出演者によると、かりに、戦争かなにかで北朝鮮の最高指導者である金正恩が殺されたとしたら、テロリストはそのときに、外部との連絡を一切断って、自分で動きはじめるそうだ。それで日本をのっとるつもりだというのだろう。

 これは、政治学者の三浦瑠麗氏がテレビ番組に出演したさいに語ったことだそうである。この発言が一部で波紋を呼んでいるようである。批判する声もあり、その逆に擁護する声もある。擁護というのは、あくまでも可能性としてはあるかもしれないことだというわけである。たしかに、可能性ということでいうと、まったくないことだとは言えそうにない。

 三浦氏が出演したテレビ番組には、お笑い芸人のダウンタウン松本人志氏も主要な出演者として共演していた。その松本氏によると、番組に出演した人が、番組を盛りあげようとして、サービス精神を発揮することがあるという。それによって出演者が世間から叩かれるのは残念だ、といったようなことを松本氏は言う。その場を盛り上げるために、サービス精神を発揮するのは、番組にとってはよいことかもしれないし、そうした意図は悪いことではないだろう。しかしそれによる結果がどうなのかは問題だ。盛り上げ方や、サービス精神の内容や質が問われる。確からしさがあまり高くはないような情報を、さも本当のことであるかのように言うのだと、問題がないとはいえない。

 番組の中での三浦氏の発言は、可能性としては否定できないところがあるかもしれないが、あくまでも仮定によるものである。もしかりに戦争がおきたらだとか、いざというさいにはだとか、かりに最高指導者の金正恩が殺害されたらだとか、ということである。このようにして仮定に仮定を重ねると、さも本当のことであるかのように耳に響きかねない。しかし、そもそも仮定のうえに成り立っているものなのだから、(仮定だから絶対に現実にはおこらないとは言えないにせよ)その根拠がどうなのかを見なければならないだろう。

 北朝鮮のテロリストが日本の大都市に潜んでいるとしたり、そうしたテロリストがいざというさいに日本をおとしめるために動き出すとしたりする。このように見なしてしまうと、日本は善で北朝鮮は悪というふうに見なしかねない。現実はそこまで単純なものではないだろう。日本人の中にも社会において悪いことをする人はいるわけだし、すべてが善なわけではない。そうしたことは関係によって規定されるところがある。日本は善で北朝鮮は悪だとするのだと、(原因)帰属の錯誤となってしまう。

 ほんとうに北朝鮮のテロリストが日本の大都市に潜んでいるかどうかは、確かめようがないのがある。戦争などのいざということがおきたとして、それでふだんから潜んでいたテロリストが動き出さなかったとすれば、テロリストなどというのはもともと潜んでいなかったおそれが高い。そういう形でしか否定できないものであり、開かれているものとは言いがたい。一つの物語であると言ってさしつかえがない。

 可能性ということでいえば、なにも北朝鮮にかぎらず、あらゆる国からのテロリストが潜んでいるおそれを捨てきれないのがある。自分以外はみんな敵だといった発想に立てば、そうした見なし方ができる。日本をおとしいれようとする魂胆を、北朝鮮を含めて、それ以外のあらゆる国が持っていないとは言い切れない。敵と見立てようとすれば、どこまでもできてしまいそうだ。そうした見かたができるのはありそうだけど、それと同時に、そうした見かたをとることを疑うことができる。実体のないものを、テロリストだとして対象化しているおそれが無くはない。