もし否決の結果が出ても問題はないということであれば、そもそも問題がない(のではないか)、というふうにも言えそうだ

 憲法改正についての国民投票をする。それをして、否決の結果が出たらどうするのか。このような質問が国会で投げかけられた。この質問はとても有意義なものであり、かつ当然といえば当然のものだと見なせる。絶対に可決されるという保証はないからである。この質問について首相は、もし否決の結果が出たとしても、自衛隊の合憲は不変である、と答えたという。

 否決の結果が出たとしても、自衛隊が合憲であることには何ら変わりはないというのである。ここでいう自衛隊は合憲であるというのは、一つの言明としてとり出せそうだ。自衛隊は合憲であるという言明は、それ自体として成り立つものだと見なせる。そしてこれは、国民投票をおこなう前から成り立っているものだとも見なせる。そこから、当たり前ではあるが、自衛隊は合憲であるという主張がとれる。

 自衛隊は合憲であるのなら、国民投票をやることはいらないのではないか、というのが言えることはたしかだ。合憲であるのなら、とくに問題があるというわけではない。絶対ではなく、一つの見かたではあるが、そのようなことが言えるだろう。

 自衛隊憲法にきちんと位置づけるために、国民投票をする。そのような動機による動きがある。そうした動きは必ずしもまちがったものとはいえず、一つの意見であることはたしかだが、そのいっぽうで、別の見かたがとれるのもまたたしかだ。国民投票をやって否決の結果が出ても、自衛隊は合憲であることに変わりがないのだとすると、もともと自衛隊は合憲だということ(建て前)なのだから、国民投票をやらないのでもよい。

 国民投票は絶対に不要だとはいえないにせよ、それの必要性は必ずしも高くはない。危険性があることもたしかだし、その危険性を危ぶむことは臆病であることを意味するものではおそらくないだろう。国民投票を行なうことがいるというさいの説得性は、必ずしも万全なものだとはいえそうにない。説得性はまったくないというわけではないが、落ちるところがありそうだ。