問題意識の持ち方によってちがうのはあるだろうけど、一つの見方としては、政権与党の対応のまずさによるのがある(それで長引いてしまっている)

 森友学園の問題が、国会でやりとりされる。いまだに解決されずに、長引いてしまっている。野党がこのことをいたずらに引っぱっているから、国会でほかのことを論じるのが妨げられてしまっているのであり、はなはだけしからん。そうした見かたもとられている。そのいっぽうで、与党である自由民主党の政権による、このことについての姿勢が問われているのもある。

 国会において森友学園のことがとり沙汰されたさいに、受けこたえをした財務省の役人の人が、虚偽答弁をした疑いが低くない。そうした見かたがとられているのにもかかわらず、その役人の人はいまでは国税庁の長官の地位をあてがわれている。その任命について、あくまでも適材適所によると、財務大臣は述べている。はたして適材適所なのかというのは、素直にはうなずけそうにない。

 国会で虚偽答弁をした疑いがとられている人にたいして、国税庁の長官の地位をあてがう。これは、そうした報奨を与えているのだから、悪いことをしたのではなく、よいことをしたときの応報律がとられている。これが正しかったのかどうかは、改めて省みられないとならない。別な応報律として、一般の納税者(の一部)からの不満が投げかけられているのがある。国税庁の職員はそれを受けとめねばならず、業務に支障がおきているのも一部ではあるそうだ。

 財務大臣は、国税庁の長官への任命について、あくまでも適材適所だとしている。これは、国会で虚偽答弁をした疑いがあるうえでそうしているのだから、追認していることになる。財務大臣のほかに、首相もまた同じく追認していることになる。このような見かたが識者から投げかけられている。

 財務大臣や首相が追認しているというのは、改めて見ると、国会で虚偽答弁をするのでもかまわない、というふうにしているのに等しいとも受けとれる。そうではなく、国会で虚偽答弁をしたとなればそれははなはだまずいことだから、改めていま一度とらえ直す。そして事実にもとづきしかるべき処置(処罰)をとるといったようなことをして行く。一般論として言うとそのようなことをするのがあるとのぞましい。

 国会での虚偽答弁や偽証について、それをすごく重く見ることができる。もしそうしたことをしたのであれば、はなはだしくまずいことだというふうに見なせる。聞くところによると、アメリカでは、たとえ本人が意図したものではなく、結果としてであっても、偽証をすると(時と場所によっては)重罪になるという。すごく重い罪に問われるのである。嘘をつくことにたいへん厳しい態度をとっているといえるだろう。

 ひるがえって日本ではどうだろうか。すごく重い罪に問うのがいるとするかどうかは置いておくとしても、軽く見なしてしまっているのがあったり、麻痺してしまっていたりするようなところが、すべてというわけではないけどおきている。それを示しているのが、森友学園においての虚偽答弁を疑われているさいの政権がとっている対応だといえそうだ。人によって色々な意見があるかもしれないが、国会において、嘘はいけないんだということによって対応するのでないと、示しがつかなくなるし、正義(建て前)が死んでしまう。これについては、とりわけ正義の過剰だとはいえそうにない。あまり厳格主義のようにするのもやりすぎになるかもしれないが、なし崩し的にずるずると(権力者の)身内に甘くなってしまうとしたら特例のようになってしまうわけだから、それはちょっと許容できないものであると見なさざるをえない。