食への消費が拡大しているといっても、外食産業なんかは決して楽ではなさそうだ(従業員の人たちは薄給で使い捨てのように酷使されているのが中にはあるという)

 エンゲル係数が右肩上がりに上昇している。それについて、食への消費が拡大して、景気がよくなっているからだとする。このように、景気が回復したと見てしまうこともできなくはないが、説得力が高い見かただとはいえそうにない。

 ふつうに言えば、エンゲル係数が高くなるのは、景気が悪くなっているというふうに見ることができるものだろう。これを逆にして、景気がよくなっているからだとするのにはちょっと無理がある。黒いものを白いと言っているようなふしがある。少なくとも、景気が悪くなっているというおそれはぬぐいきれるものではない。

 景気が回復しているというよりは、富裕層と貧困層とで経済が分極化してしまっている。それで、富裕層によるものとして、食への消費が拡大して景気がよくなっているという見かたがとられる。そのようにおしはかれそうだ。お金にゆとりがあるのなら、高めのお店で食事をとることができる。首相ほどにもなれば、そうしたことをくり返してもとくにふところがいたむことはない。そうした自分の立場があり、そこに少なからず規定されて見なしてしまうのがある。

 首相がやっているものである、アベノミクスの経済政策につなげてしまうから、エンゲル係数についての無理な解釈がとられてしまう。アベノミクスは決してあやまたない、みたいなふうになってしまうのがある。当為(ゾルレン)としてのかくあるべしというのがあり、そこでは景気が回復しているべきなのだ。それとは別に、実在(ザイン)のありようがある。

 事実となる数字があり、それの意味することがあるとして、そのまま受けとると認知の不協和が生じる。そうしたさいに、景気は回復しているという結論は動かず、それにそぐうようにして認知の不協和が解消される。景気は回復しているという結論への確証(肯定)は保たれる。その確証を損なわないようにするための、認知の不協和の解消がとられるわけだ。

 エンゲル係数が右肩上がりに上昇しているのは、食への消費が拡大して、景気が回復しているからにちがいない。もし本当にそうであるのなら、それでもかまわないものである。しかし、話はそこでは終わらないわけであり、その見かたとはちがうのが現実であるとしたら、というふうに見ることがいる。少なくとも、エンゲル係数の数値はそれを示しているものだろう。景気が回復しているという一つの答えによるのでよしとするのでは十分ではない。その一つの答えによるだけだと、問題がないことになるわけだけど、問題があるというふうにも見られるのがある。そうであるとすると、問題がどういったものなのかの定義と、それの解決がさぐられるべきである。