かりに ICAN とは方向性がちがうのだとしても(だからこそ)、会うことに意義はあるのがありそうだ

 日本の首相に面会を求める。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)はそれを求めたところ、日程の都合で面会には応じられないと政府は答えたという。面会に応じられないのは、日程の都合によるのであり、それ以上でもそれ以下でもない。そのように政府は言っている。

 日程の都合があるので難しいといっても、どこかで何とか都合を合わせることはできないものなのか。都合を何とか合わせようと思えばできそうなものである。全部が全部、かかせない人と会ったり会食をしたり、かかせないことをしたりしているわけではたぶんないだろう。なので、会おうとしないのがあるとすると、会いたくはないというのが本当のところだと勘ぐれる。タカ派として、立場を異にする者とは交わり合いたくない。遠ざけておきたい。

 ICAN は、日本の首相と会おうとするよりも、北朝鮮に行けばよいのではないか。北朝鮮核兵器を開発して持とうとしているのがあることから、そうした意見が言われている。たしかに、北朝鮮による核兵器の開発と所持をやめさせることができればさいわいだ。そのために、ICAN北朝鮮におもむくことがいるのだろうか。

 北朝鮮核兵器を開発して所持するのをやめさせるためにも、それ以外の国(大国)が核をもたないようにすることがいる。なくすようにしないとならない。そのようなことが言えるのではないか。核保有国が核をもっていることが、北朝鮮による核兵器の開発や所持の、背中を押してしまっている。とすれば、ICAN は必ずしも直接に北朝鮮におもむくことはいりそうにない。それ以外の核保有国や多くの国に、核を保有するという姿勢を変えさせるように努めるようにする。核保有国やその他の国々は、ICAN による主張にきちんと耳をかたむけて、各国がお互いに協力して核をなくすような方向に向かうのがよさそうだ。

 核などの軍事の力を持っていないと、相手はこちらの話に聞く耳を持ってはくれない。相手にしてくれない。だから、核などの軍事の力をきちんと持つことがいる。そうした意見がある。これを広げると、ICAN は自分たちの主張をまともに聞いてもらうためには、核などの軍事の力を持っていないとならないことになってしまいそうだ。そうなってしまうと矛盾となってしまう。おかしな話となる。もっとも、ICAN は国ではないから、国どうしのこととまったくいっしょの理屈が当てはまるわけではないのはあるが。

 力(might)を持つことと、正義(right)を言うこととは、別なものだと見なせる。なので、正義を言うことを、力を背景にしているかどうかといっしょくたにしないのがのぞましい。そこを切り分けられたほうがよいのがある。現実に物理の力を持っているからといって正しいことを言うとはかぎらない。現実に物理の力を持っていないからといって、正しいことを言わない(言えない)わけではない。ソフトパワーを最大限に生かすようなことができれば、ハードパワーにたくさんのお金をかけずにすむ。別のことにお金を回すことができそうだ。

 現実には、軍事による物理の力であるハードパワーをもつことは欠かせない。そうしたことが言えるのがある。これは認めざるをえないものであるのはたしかだろう。そうであるのはたしかなわけだけど、核兵器などの軍事の力は、安全をもたらす面もたしかにあるいっぽうで、対象化や物象化をもたらすものでもある。それによって全面として死の世界となる。お互いににらみ合うことによる平和や安全なわけだから、一歩まちがうと死をまねくわけだし、一歩まちがわないでも死におおわれる。お互いににらみ合うことでそうなるわけだ。