絶望職場とは、職場だけに限られたことではないのがありそうだ

 絶望職場のにない手たち、と題する番組が放映された。これは、外国からやってきた技能実習生が、日本でどのように働いているかの実態を調べたものである。この番組は見ていないんだけど、ウェブで伝え聞くところによると、色々とひどいあつかいの実態が浮きぼりにされているようである。

 月の残業は一九七時間にものぼる。月給は三万円しかもらえない。休みは半年に一日だけしかない。このようなひどいあつかいを技能実習生は受けているというのだ。すべてがすべてこうだというわけではないかもしれないが。

 あるところでは、技能実習生たちに、日本人の雇い主がこのように言い放つ。お前たちは、前の会社に捨てられた犬だ。そして、もう中国に帰れ、お前ら、などとも言う。さらに、雇い主や日本人は人間だが、技能実習生は人間が(と)ちがう、といったおかしな線引きをしているところもある。

 あたかもブラック企業で労働者を使い捨てるようなしうちに通ずるようである。絶望職場というのはまちがったいい表し方ではなさそうだ。そこには希望がなく、正義もない。弱者への排除と差別が横行してしまっている。

 すべてではないのかもしれないが、それをふまえたうえでも、技能実習生の人たちへのひどいしうちは、そのまま放っておいてよいものとは言えそうにない。これは技能実習生の人たちだけにかかわることではなく、日本という社会そのものの生きづらさや息苦しさを象徴していると見なせそうだ。

 外から日本にやってくる人たちを呼び寄せるのであれば、人間としてふさわしいきちんとした処遇をすべきことは明らかである。それができないのであればはじめから呼び寄せるべきではない。

 どのような人間であったとしても尊厳をもつ。これは、価格とは区別されることである。尊厳は質であり、価格は量である。人間の値うちとして、価格である量ではかられるだけなのであれば一元論となるのでまずい。(量でははかれない)尊厳である質が切り捨てられてしまう。

 まずは日本にいる日本人をいちばんに優先すべきだ、という意見もあるかもしれない。これは頭から否定されるべきものではないだろうが、自民族中心主義になりかねないところがあるので、個人としてはあまり賛同することができない。外から日本にやってきた人たちは、甘い言葉につけこまれてだまされてしまったところがあるとすると、最弱者であるとも言える。そうした最弱者がひどい抑圧や支配や搾取をこうむるようであれば、その社会は全体としてきわめて非人間的であると言ってもさしつかえがない。

 東京では二〇二〇年に夏の五輪が開かれる予定であり、そこではおもてなしが一つのありようとして言われている。このおもてなしをなぜ技能実習生の人たちに向けられないのだろうか。その点が残念である。外からの客を迎え入れるという点では同じことなのだから、こっちではやる気があるがあっちではやる気がないというのではおかしい。

 技能実習生を日本に呼び寄せるのは、何を目的としているのだろうか。この目的については、一つには、外からの客を迎え入れるための練習に当てることができる。現実にはそれがまったくと言ってよいほどできていないのではないか。きちんと客を迎え入れることができれば、その客は友になるのだから、それは日本の社会にとってよいことだ。多様性をもつことにつながりそうだ。