虚と実において、虚(ネタ)が入りこんでしまうのがありそうだ

 重大な事件がおきる。そうしたときに、根拠に乏しい情報を流すのが、トレンドブログと呼ばれるものだそうだ。容疑者の顔写真が判明しただとか、出身校はどこだとかいった情報を流す。このような情報を流すのは、常軌を逸した行動だと、毎日新聞の記事において記者が警鐘を鳴らしている。

 この毎日新聞の記事の内容について、かならずしもトレンドブログだけを非難できないというのがある。報道機関の報道でも、事件をおこした容疑者の名前を報じることがあるし、顔写真だったり動く映像だったりを流している。

 事件をおこした容疑者の名前を報じるのは、社会的制裁のためであるという。そして、名前を報じるのは、じっさいに有罪が確定してからにするのが理想である。元政治家の橋下徹氏はそのように述べていた。

 現実を見てみると、じっさいに有罪が確定する前から容疑者の名前が報じられることは少なくなさそうだ。そうしてみると、(有罪が確定してから名前を報じるという)理想とはほど遠いと言わざるをえない。

 トレンドブログの行動ははたして常軌を逸しているといえるのだろうか。常軌を逸しているともいえるし、そうとも言い切れないのもある。多くの人の目に触れることでそれが利益につながるのがあるのに加えて、正義感みたいなのもあるのだろう。また、人の興味という需要について、それを供給する役をになう。ただ、その供給されるものの質が悪いと問題だ。即興で出まかせに近いものを流すのだとまずい。

 毎日新聞の記事では、トレンドブログが虚偽情報を拡散してしまうことを危惧している。この危惧はまったくの的はずれなものだとは言えないものだろう。たしかに、報道機関の報じかたにもおかしいところが部分的にあり、理想からはほど遠いところがありそうだ。それはあるとして、それとは別に、トレンドブログが根拠の乏しい情報を流しているのについて、それをいさめるためにとり上げるのは有益である。

 まちがった情報を流していないかどうか、自分で改めるようなことがあればよいのかもしれない。それで、もしまちがった情報を流していたことがわかれば、それについて謝罪するようにする。そして情報を修正するのである。このようにするのに加えて、故意にまちがった情報を流さないようにも気をつけるようにする。なるべく正確を期すようにする。こうした配慮があればよさそうだ。ほんの少しずつであっても、質を高めてゆくようなあんばいだ。

 自分で確かめた一次情報であるのならともかく、二次情報であるのなら、そこにまちがいがあるおそれはけっして低くない。それにくわえて、人間がやることにはまちがいがつきまとう。人間の推論にはまちがいがおきがちだ。見まちがいや聞きまちがいもある。記すさいにも、記そうと思っていることとじっさいに記したこととのあいだにずれが生じる。一つ一つの段階でそれぞれにまちがいがおきるおそれがある。たとえ万全を期したのだとしても、完ぺきに正確にすることはできづらい。そうしたのがあるから、できるだけ注意することができればさいわいだ。