子どもの数を増やすのもよいだろうけど、それとは別に、制度の硬直さなんかを改めるのもあればよさそうだ

 主語が大きいのをあらかじめ断っておきたい。そのうえで、こうした意見を見かけた。女性の知的水準や教育水準が低いほうが、その国で女性一人ひとりが子どもを産む数が増えるというのである。女性が本能によっているほうが、子どもを多く産みやすい。これは、元テレビ局アナウンサーの長谷川豊氏による発言だという。

 そもそも、子どもの数を機械的に増やすのはよいことなのだろうか。そこに疑問をもつことができそうだ。一説では、日本の人口は八〇〇〇万人くらいがちょうどよいというのも言われている。(自分と同じ年代の)人口の数が多ければ、それだけ競争相手も多くなるわけで、生きやすくなるとはかぎらない。国にとっては、税金をとれる頭数が多いほうがよいのかもしれないけど。

 資本主義が経済の格差を生むことを示した、フランスの学者のエマニュエル・トッドは、このような説を言っているという。それは図式的なものであり、以下のような流れとなるものだ。まずはじめに男性の識字化がおきる。そしてそのことで革命と動乱がおきる。つぎに教育の普及などにより女性の識字化がなされる。それによって女性の教育の水準が高まり、社会進出もできるようになる。それにより、出生率が低下する。そこから、民主主義が安定化するのだという。

 このトッドの図式では、かなり楽観的な見かたがとられているといえるそうである。なのでじっさいにはこの通りに進むとは言い切れないのがある。そのうえで、これは人口統計学または人口動態学であるデモグラフィーと呼ばれるものからの見解だから、そんなにいい加減なものではなく、一つの見かたとして有効だと言えそうだ。

 フランスの思想家であるシャルル・フーリエはこのようなことを言っているという。女性の特権の伸張はあらゆる社会的進歩の一般原則である。これをふまえてみると、日本はまだまだこの点で立ち遅れているのがあるのはいなめない。もっと改善できるところがある。世界の先進国と比べても、それと肩を並べるまでにはいたっていないところが多々あるのではないか。

 人口や経済におけるやっかいな問題は、男性も女性もともに、さらなる教育の普及や知の水準が高まることによって、多少なりとも光が見えてくる。政策として何をさしおいても絶対に正しいとは必ずしも言えないかもしれないが、このように見なすことがあってもよさそうだ。大上段にかまえて、全体の教育の向上などというのではなくても、とりわけ社会の底辺に近いところにおかれている人たちの、貧困と無知(情報不足)からおきてしまう苦悩や悲劇をどうにかするのはあってほしいものだ。

 話はやや変わるけど、こういう発言もあった。三〇歳をこえて、何年もつき合っている女性と結婚もせずに独身のままでいる男性は生きている価値がない。これについては、ちょっと言いすぎであるのはたしかだ。たとえどんな人間であっても、尊厳があるわけだから、生きている価値がないということはない。結婚にふみ切れないのは、個人にではなく、状況に原因があるとも見られる。であるのなら、状況を改めればよい。すぐには改められないかもしれないけど。