問題があるのか、問題がない(ノー・プロブレム)のか、そして問題があるとしたら、どこが問題なのか

 獣医学部の設置を認めるか否か。その審議会が開かれ、設置が認められる見通しが立った。ゴーサインが出たのである。これについて、学園の長とされる人は、万感迫る思いだと言っているという。ただし、いまだに疑惑の渦中となってしまっているせいもあり、表に出ての弁ではなく、陰ながらの発言だとされる。

 獣医学部の認可について、一つには義務論の点から見ることができる。これは手続きから見てどうかということである。この観点からすると、明らかに非があるといえそうだ。この非は多くの人からさまざまに指摘されている。閣議決定された石破四条件をきちんと満たしていないのがある。これは手続きの過程をすっ飛ばしていることをあらわす。

 獣医学部を設置するのについては、四国に獣医が足りていなくて、それを供給するためだというのがある。ところが、学園は、隣国である韓国から生徒を募っているというのである。韓国から生徒を募るのが悪いというわけではないが、これだと日本の獣医の不足を何とかするという説明はいったい何だったのかということになってしまう。

 質の高い教育サービスが提供されるのならよい。この点についても、必ずしも質の高さがとれていないという指摘がされている。日本にあるほかの獣医学部の質と比べて、それに肩を並べるか、もしくはそれを上回るだけの質がとれるのなら、設置する正当性が生じる。しかしそうではなくて不備があるのであれば、そこをきちんと改めてからの開校であってもよい。

 義務論の点からいうと明らかに非があるように見うけられる。そうした点とは別に、帰結から見たらどうなのだろうか。この点については、加計学園獣医学部の認可を、審議会で通したわけだけど、これを逆に通さないのと比べてみるのがいる。

 獣医学部を設置したとして、いったいそれによって日本に何の益があるのかを明らかにする。益ではなくて害があるのならそれも明らかにする。それに加えて、反対に設置をとり止めたさいにどういった益があり、どういった害が出そうなのかを見てみる。

 公にとってのことがらなのであれば、日本の有権者にとって具体的にどういった効用(満足)がもたらされるのかによって決められるようであればのぞましい。そこをきちんと説明してほしいものである。設置した場合にこういう益があり、設置しなかったとしたらこういう害がある、というふうに説く。なぜ手続きのうえで明らかに非があるのに、それを押してでも設置しなければならないのかの理由や根拠を示す。そして、隠された益(私益)や隠された害がないのかを確認しないとならない。

 手続きのうえで非があるのだけではなく、帰結がどうなのかについてもまたあいまいになってしまっていそうだ。立証責任が果たされているとはいえず、意思決定の過程が開示されていて透明性があるとは言いがたい。民主主義は説明責任が果たされないとならないものだ。これが言い訳や自己弁護であってはまずいわけで、それからすると問題があるという見かたはできるだろう。国家の根幹を揺るがすほどの問題なのかどうかはわからないが。

 ほんのささいな不正というだけで、政権の首がすぐに飛ぶのは行きすぎかもしれない。そうしたのはあるけど、有権者背信となるようなことを政権がしたさいに、それで政権を次の新しいのに取り替えができるようでないと、責任(アカウンタビリティ)がいちじるしく欠けている。ほかに替えが見あたらないとして、かけがえがないのもよいけど、それだと緊張感がなくなりがちだし、権力が腐敗しやすい。権力にあやかる(あやかろうとする)人が多出する。こうしたのに歯止めをかけられて、きちんと責任がとれればさいわいだ。