男性に加害性があることを、生物学で完ぺきに裏づけることはできそうにない

 男性には加害性がある。このように見なすのは、女性が弱者として男性から被害を受けるのを防ぐための一つの視点として有効なものといえるかもしれない。そうしたのはあるとしても、生物学からいって男性にはもともと生まれながらに加害性があるとは必ずしも言えそうにはない。これだと、生物学主義(biologism)によってしまうのがありそうだ。

 男性であることと、加害性があることとは、分けて見ることができる。男性であることと、加害性があることとは、必ずしも一致するわけではないと見なすことができる。男性であり、加害性があることはあるだろうけど、男性であり、加害性がないこともあるのはたしかだ。

 男性の集合(外延)の中には、さまざまなものが入れられる。赤ちゃんの男性もいるだろうし、子どもや青年や中年や老年の人もふくむ。そうした人たちがいるので、十ぱ一からげに語ることはできそうにない。男性らしい男性もいれば、男性らしくない男性もいる。

 男性には加害性があるとして仕立てあげることはできるだろうけど、それだと単純化または一般化することになりかねない。そうして単純化または一般化することが有効なことも場合によってはあるだろう。積極的な緊急措置のようなことであれば肯定される。そうしたのはあるとして、それが確立された見かたとはならなければさいわいだ。絶対の真理としてしまうようだと、確証バイアスがはたらく。確証ではなく、反証できることもたしかである。