組織は人なりというから、なるべく人を大事にできたほうがよさそうだ

 言い方がきつすぎた。日本維新の会の代表である松井一郎大阪都知事は、元大阪市長だった橋下徹氏のツイートについて、このように述べていた。橋下氏は、維新の会に属する丸山穂高議員をツイートで批判していた。

 先の選挙での苦戦をふまえて、結果の総括と、代表選を求める。そうしたことを訴えていた丸山議員にたいして、橋下氏はツイートで批判をしたわけである。どうも、丸山議員のいい加減な言葉の言い回しが気にくわなかったようだ。そこで、お前がまず総括しろだとか、丸山議員がいると維新は衰退するだとか、丸山議員が金で公認を得ているだとか言ったという。金で公認を得ているとの批判については、あとで橋下氏は謝罪して撤回していた。

 時代思想でいうと、橋下氏および維新の会のありかたは、前近代(プレモダン)のようである。いっぽう丸山議員は脱近代(ポストモダン)といえそうだ。橋下氏(や維新の会)は前近代によっているので、まだ若めである丸山議員が分をわきまえないかのようなことを言ったのにかちんときた。家父長制でいえば、家の長である父や長兄にたいして、下の者があらがったようなことと見なされる。

 維新の会においては、橋下氏や松井代表は上の者であり、いっぽう丸山議員は下の者となる。下の者が上の者にたいしてやたらにくだけた言い回しでものを言うのは適当ではないのがあるかもしれない。そうしたのはあるだろうけど、だからといって、そうした言い回しのまずさをことさらに叩くのはどうなのか。そこはとがめつつ、言っている中身に目を向けられればよかったのがある。それで中身がおかしければ冷静に批判をすればよい。そうではなく、人格を全否定してしまうのはちょっと問題である。そこは惻隠(そくいん)の情として、(上の者が)温情みたいなのを少しくらいははたらかせられれば、大人であることを示せる。ときには難しいこともあるが、わずかにであっても愛や尊敬をもてればよさそうだ。

 維新の会は、維新とうたっているくらいなのだから、維新をよしとしている。とすると、維新の会の中での維新みたいなのがあってもよさそうである。入れ子の構造のようなあんばいで、維新の維新みたいなふうになる。維新の会の中での維新をもし認めないのであれば、それは維新なき維新であり、維新の名でありながら維新とは言いがたい。そうはいっても、内においては維新がおきない方がまとまりやすいのはあるかもしれない。まとまりが崩れると、形態(ゲシュタルト)が保てない。形態を保つのとは別に、それを改めるのが維新ではある。