質問を途中でさえぎられるいわれ

 記者がまだ質問をしているときに、それをさえぎる。ほかの記者に次の質問をうながす。そうしたことを、小池百合子都知事は記者との質疑応答でしているそうだ。質問を途中でさえぎられた記者は、ある特定の人物であるという。その特定の記者は、いぜんに小池都知事から、(左派寄りの議員の人たちを)排除いたします、との発言を引き出した人だとされる。

 ちょっといじめのようではないかなという気がしてしまう。まるで見せしめのようにして、特定の記者の質問には答えずに、途中でさえぎってしまうのはあてつけのようである。そうしてその記者の人は、小池都知事からあてつけを受けるのがふさわしいことなのだろうか。

 いぜんに小池都知事が、排除いたしますとの発言をしたのは、それを引き出したとされる記者のせいと言えるのかどうかがある。その記者からの問いかけが引き金になったのはあるだろうけど、引き金になっただけなのであれば原因(の一端)とはいえないだろう。ほかの言い回しでも十分に受け答えができたはずである。必然性があったとはちょっと見なしがたい。

 ある記者からの問いかけが引き金となって、排除いたしますの発言がなされた。この発言が、はたして先の衆議院選挙での(小池都知事が率いる)希望の党の苦戦につながったのかは定かとはいえそうにない。希望の党が苦戦したのは、何が原因となっているかははっきりとしているとはいえないのがある。排除いたしますの発言のせいで苦戦したのだとは言い切れないわけである。色々な複合した要因によるものだろう。

 小池都知事の気持ちをかりに忖度できるとすれば、排除いたしますの発言の引き金となった記者をつい冷遇したくなるのはわからないでもない。そうはいっても、記者との質疑応答のやりとりがテレビに映されて、それを見る子どもへの教育上の影響があげられる。好ましい影響を与えるものではないだろう。引き金となった記者からの質問を途中でさえぎり、(ほかの記者との)対応に格差をつけてしまうのは、私情をさし挟んでしまっているのがあるといえるのではないか。気持ちの整理をつけて、できればそうしたのをつつしんでもらえればさいわいだ。