数の力で押し切ってしまわないようにしてもらえればよさそうだ

 憲法の改正へ加速する。自由民主党安倍晋三首相はそのような心づもりであるとして、東京新聞が報じている。かならずしも野党第一党との合意はいらないのだということである。今回の選挙では、新しく立憲民主党野党第一党となった。

 かならずしも合意をとるつもりはないとするのは、多数決型の民主主義といってよい。そうしたのとは別に、合意型の民主主義があるという。立憲民主党なんかは、こちらの合意型の民主主義によるということができそうだ。

 多数決型は加速度によるが、合意型は遅速度による、ということができる。多数決で決めたことだからとして、数の力で押し切ってしまうのは、法に反しているというのではないにしても、正統性が問われるのがある。加速度によるのではなく、遅速度によって時間をかけて色々な視点によって見て行き、理解をだんだんと深めて行く。そうした過程がとられるのでないと、受け入れるのがむずかしい。大事なことがらなのであればそのように言える。

 憲法を改正するのが正しいとはかぎらないのだから、それについての合意をもれなくみながもつのはかなり困難である。そうして困難だからといって、それを放棄するのがよいことなのだろうか。そうしたのに加えて、合意とは二進数のように、〇か一かといったものとは必ずしもいえそうにない。下位の合意と上位の合意というのに分けられるそうなのだ。

 上位の合意とは、何かについての直接の賛否ではない。たとえば憲法の改正についてであれば、それをするかしないかは、力への意志のちがいにすぎないのがある。お互いの力がせめぎ合うようなあんばいだ。そのさい、力(might)と正義(right)とを一緒にするのではなく分けることができる。力が強いから正しいとは必ずしもかぎらない。そうしたことをふまえて、力と力の争いや摩擦やずれみたいなのがあることについての合意をとる。こうしたものであれば、下位だけとはならず、上位についてはお互いに意見を同じくすることもできなくはない。二進数の〇か一かのようにではなく、連続(アナログ)のようにしてとらえることができる。