投票する先をまだ決めていない五十四パーセントの人たちをあまり刺激したくはないのがあるのかも

 投票先を決めていない人たちが、五十四パーセントにのぼる。その人たちに期待することにしたい。そうしたことを、テレビ番組のなかで出演者が発言した。この発言はけしからんことだとして、官邸はこの番組へきびしい目を向けているという。

 官邸にとっては、まだ投票する先を決めていない五十四パーセントの人たちが投票に向かえば、与党である自分たちに有利にはたらくとは確かには見こめない。そうしたとらえかたをしているのだろうか。図式でいうと、五十四パーセントの人たちに期待したいとうながすことが、野党に有利にはたらきかねず、野党に少しでも有利にはたらきかねないことはけしからん。こんなふうになっていそうだ。

 たとえば、野党にぜひ投票をしましょう、なんていうふうに、明らさまに呼びかけるのはまずいだろう。しかしそうではなく、投票先を決めていない五十四パーセントの人たちに期待をしたい、と述べるのは、いわば灰色である。まったくの白とは言えないが、どう見ても黒とも言いがたい。黒ともとれないことはないが、そんなにきつくとがめ立てをするほどのこととは見なしづらい。

 与党は自分たちが少しでも損をするかもしれないことに敏感であるのとは別に、自分たちが少しでも得をしてしまっていることにも鈍感でないようであってほしいものだ。この損か得かというのは、なかなか難しいところがあるのはたしかである。そのうえで、あえて進んで自分たちが損をするのも悪くはない。その実行は現実にはすごくできづらいのがあるけど、もしかすると、そうすることによって平等になるかもしれないのがある。たんに、今ある公職選挙法を守れば平等になるとはちょっと言えないだろう。強者や多数派が得をするために公職選挙法があるわけではなく、弱者や少数派がもっとおもんばかられてもよいはずだ。強者や多数派が栄えて、かえって国が滅ぶ(衰える)、なんていうことにならなければよいけど。