加害者はこの人であるとして、それで物語を閉じてしまってよいものだろうか

 詐欺で逮捕された。籠◯泰典氏(と夫人)について、自由民主党安倍晋三首相はこのように述べていた。選挙における党首討論で、疑惑を問いただされたなかでの発言だ。不正が疑われる、籠◯氏が運営していた森◯学園と、加◯孝太郎氏の運営する加◯学園は、首相とその周りとのかかわりが濃い(濃かった)のが明らかにされている。

 一国の首相が、一人の個人について、わざわざ詐欺で警察に逮捕されたことに言及するのはいかがなものだろうか。そのような気がしてしまったのである。たしかに、詐欺で警察に逮捕されたのは事実ではある。しかしそうだからといって、犯人であるのが立証されたとはまだ言いがたい。

 警察に逮捕されて、裁判にかけられたから、その人は悪い人になるのだろうか。必ずしもそうとは決めつけられそうにない。これを決めつけてしまうのは印象の操作になる。誤認逮捕とか、不当判決が出るおそれも決してなくはない。有罪推定の前提で見るのはどうなのだろう。

 じっさいに詐欺をはたらいていたのであれば、たしかに悪いことをしたことになる。そのうえで、籠◯氏だけが悪いと決めつけられるのかは定かとは言いがたい。籠◯氏がはめられたおそれを否定できないのがある。少なくとも、解釈の一つとしては成り立つだろう。はめられた方も少しは悪いかもしれないが、はめた方(がもしいるとすれば)もまたそうとうに悪い。

 籠◯氏に首相が嫌われても、たった一人(また数人)から嫌われるだけだから、たいしたことはない。そんなふうに、利と害をはかりにかけているとすれば、いただけない。疑惑がほんとうはどうだったのかについて、籠◯氏が詐欺をはたらいたので一件落着としてしまうのは、罪の押しつけになりかねない。こうした落着のさせ方にはどうしても賛成できないのがある。もしそのように落着させているのだとすればの話ではあるけど。

 たった一人で、どうやって国を相手どって詐欺をはたらけるのだろう。詐欺をはたらくとすれば、一般論でいうと、だます方がだまされる方よりもより賢くないといけない。籠◯氏は国よりも賢かったのだろうか。国は籠◯氏よりも愚かだったのだろうか。ふつうは逆なのではないかという気がする。悪賢いという意味でだけど。

 どこに帰属があるのかにおいては、個人要因と状況要因に分けられる。籠◯氏の個人に要因をおけるとは必ずしも見なせないだろう。状況の要因も無視することができない。どういった状況におかれていたのかが少なからぬ意味をもつ。首相やその周りとの仲がよかったのだから、忖度して引き立てられたゆえのあやまちだったおそれもある。そうであるのなら、忖度して引き立てた人たちにもまたあやまりがあったことになる。