消費税を増税するか減税するかについては、観察の理論負荷性がおきていそうだ(理論の負荷がかかっている)

 消費税増税を問答する。日本経済新聞の大機小機というコラムに、そのようなものがあったのを見かけた。消費税の増税を是とする持論をもつ教授が、四人の学生から意見を聞く。それを受けて教授が成績を判定する、といった内容である。

 消費税の増税を是とする持論を教授はもっているので、それに応じた成績のつけ方となっている。たとえば消費税の減税や、増税の停止をとなえる学生にはよくない成績がつけられる。消費税の増税をとなえる学生には、(教授の持論と合致するために)よい成績がつけられていた。

 減税から増税まで、いろいろな意見が記事の中で示されているのがよい。そうではあるけど、なにぶん教授は学生の成績をつける役をになうので、権力者のような立ち場にある。そのため、学生の聞き分けがよすぎるのはいなめない。素直ではあるにせよ、その聞き分けがよいのが難点だ。聞き分けが悪くて、しつように教授へ疑問を投げかけつづけたほうが、もっと対象世界への理解が深まるのが見こめる。記事の長さの制約があるだろうから、そんなにだらだらとはやりとりをつづけられないだろうけど(際限がなくなってしまいそうだ)。

 記事の中での成績のよし悪しとはうらはらに、ウェブで意見をつのったら、おそらくは成績の悪くつけられた学生の意見に支持が多く集まりそうだ。消費税の減税をとなえるのは記事の中では成績が悪くつけられたわけだけど、その意見への賛同者は決して少なくはない。

 学生から意見をたずねて、教授がそれについて成績をつける。記事ではそのようになっているわけだけど、じっさいにはそうではなくて、教授どうしが各々の持論をとなえ合う。それで口角泡を飛ばしながら激論をやり合う。そのほうが少し現実味があるかなという気がする。

 消費税の増税を是とする持論をもつ教授にとっては、消費税を増税するのが合理的だとなる。しかし、消費税を減税したり、増税を停止したりするのを是とする人にとっては、減税したり増税を停止したりするのが合理的だとなる。この点についての理非曲直はややむずかしい。

 はたして、増税をするのかそれとも減税をするのか、どちらのほうが合理的なのか。これについては、人間のもつ合理性の限界がかいま見られる。残念ではあるが、人間は限定された合理性しかもっていない。なので、それを非の打ち所のないものだと見なすと、教条主義におちいらざるをえなくなる。

 個人的には、記事の中での教授の持論はそれなりに妥当なことを言っていると感じる。もっとも、そうはいっても、これは一つの価値判断にすぎない。じっさいの現実では、神々の争いといったようにして、どの神を自分が選ぶのかによってそれ以外の他のものが悪魔となってくる。そうしたのは、あくまでも相対的なものにすぎない。肯定(確証)と否定(反証)とのどちらか一方だけではなくて、なるべく両面で見ることができればよさそうだ。

 科学でおこなわれるような、要素還元として見なすのだと、とり落としてしまうものが出てくる。複雑系のありようをふまえてみると、要素還元がしづらいのがあるので、そうして見るのではないのがあってもよさそうだ。要素還元したさいの部分とは、あくまでも仮説でしかない。じっさいには連続した全体があるのにすぎないのもある。天気でいえば、晴れとか曇りとか雨の気象は、あるようでいてそうではなく、移ろいゆくものにすぎない。分節すれば(晴れや曇りや雨の)気象はあるわけだけど。

 全体と部分があるとして、部分を見るさいには、有機的に見ることができる。有機的に見るのにおいては、部分を無機的に切りとってしまうのではなく、大宇宙と小宇宙のようにして、照応し合うようなふうに見なす。非科学的ではあるが、全体と部分は、前景と背景のようにして、遠近法的にとらえることができる。