よい面を図として、悪い面を地とすると、それは反転させられる

 不道徳であっても能力が高い。そうした政治家の人がありえる。そのさい、一つの可能性としては、こういう見なし方ができる。あの人は、不道徳ではあるけど、政治家としてはきわめて優秀だよね、と見なす。

 政治家としての優秀さは、政策を提案したり実行したりするなどといったことにおける有能さだろう。こうした有能さをもっていたとして、そのいっぽうで、私生活ではだらしないなどの不道徳さがある。こうしたようであると、認知的不協和を呼びおこしそうだ。

 認知的不協和がおきるとすれば、それはいったいどのようにして解消されることになるだろうか。政治的な有能さが上回るか、それとも不道徳が上回るのか。政治的な有能さが上回ることもありえないではないだろうが、じっさいにはそれは難しい。不道徳が上回ってしまいそうである。

 よい価値と悪い価値があるとすると、よい価値は限定化されやすく、悪い価値は一般化されやすい。なので、政治的な有能さは限定化されることになり、不道徳は一般化されることになる。そうした流れがありえる。まちがいなくいつもいつもこうした流れになるとはいえないだろうけど、このようになる確率はそれなりにありそうだ。

 もし不道徳なできごとが表ざたになり発覚してしまったのだとすれば、それを受けとる方は、信頼をもつのが難しくなる。たとえその人が政治的に有能であったとしても、どうしてもそうした面がおきてしまうものなのではないか。不信感を払しょくしきれない。そこで、どのようにすれば損なわれた信頼をふたたび回復できるのかをさぐるのがよい。

 少なくとも、不道徳であるのを居直ってしまうよりかは、これから先に改めるようなきちんとした手だてをとったほうが、双方向のあり方が期待できるのがある。なるべく口先だけではない手だてであるのがのぞましい。受けとる方がそこまで寛容であるかどうかはわからないけど、そうした寛容さがときにはあってもよいかもしれない。