労働と休暇の折衷

 問題が山積みなのにもかかわらず、夏休みをとるとはけしからん。(就任中の)バラク・オバマ前大統領にたいして、このような批判を言った。批判を言ったのは、大統領に就任する前のドナルド・トランプ氏だ。そしてトランプ氏はいざ大統領になった今となって、夏休みをとることにしたという。オバマ氏に投げかけた批判が、自分にはね返ってきてしまったかっこうだ。

 トランプ大統領は、夏休みをとるのにさすがに気がねがしたのか、ワーキング・バケーションであると言っていた。休暇をとりながらも働くのだという。日本語に訳すと、働きながらの休暇、といったところだろうか。これでは、働くのか休暇をとるのか、どっちなのかがよく分からない。車の運転でいえば、アクセルを踏みながらブレーキも踏む、みたいなあんばいだ。

 働くと一と口に言っても、形だけ働くとすることもありえる。いわば口実のようなものである。ワーキングは建て前であり、本音はバケーションのほうにおかれている。そうしたことがありえるだろう。休暇のほうが楽しいのは人情だから、労働とはいっても気もそぞろとなり、身が入らずにおざなりになってしまうことになりそうだ。

 なんの個人的な借りがないのだとしても、あえてトランプ大統領に忖度してみるのだとすれば、雑種(ハイブリッド)のようなふうにして、労働と休暇を同居させる試みであるかもしれない。あるいは、弁証法のようにして、労働であるテーゼと、休暇であるアンチ・テーゼを止揚(アウフヘーベン)させるようなもくろみであるかもしれない。

 ことわざでは、虻蜂とらずといわれる。二兎を追う者は一兎をも得ずともいわれる。こうしたことをふまえると、どちらか一つにしぼったほうがよいような気がする。けっきょくどちらも中途半端に終わってしまうようであれば不完全燃焼(不完全休養)みたいなことになりかねない。よけいなおせっかいではあるかも知れないが。