憲法を中学生に寄せるのもよいだろうけど、中学生を憲法に寄せるのであってもよいのでは

 中学生が読んで、自衛隊違憲となる憲法なのはおかしい。政治学者の三浦瑠麗氏は、そのように述べていた。中学生が読んでということであるが、小学生の場合はどうなのだろう。または、高校生や大学生だったらどうなのだろう。かならずしも中学生を想定する必要はないような気がする。

 いろんな立場があるわけだけど、かりに憲法をできるだけ尊重しようとする、護憲派の立場をふまえてみる。この立場においては、憲法を守ることが、もっとも優先されることになる。何が一番で何が二番で、といった優先順位をつけるものである、順序数的効用において、憲法が一番にくるわけだ。

 そうした護憲派の立場をふまえてみると、憲法をできるだけ守るのがよいのであるから、自衛隊はその次にならざるをえない。極論でいえば、憲法を改正するよりも、自衛隊を解散するべきだろう。しかしかならずしも解散することはいらない。個別的自衛権に限定するのであれば、憲法の解釈によって自衛隊は肯定される見かたが成り立つ。そうしたことが言えるそうである。

 憲法をできるだけ守ろうとする護憲派の立場が、そのほかの立場よりも正しいとはかぎられない。そうしたことは言えるわけだけど、だからといって、改憲派が正しくて護憲派がまちがっているとはかならずしも言えないだろう。そのちがいについては、それぞれの効用のあり方のちがいによってくるところがある。

 現実をいちばん効用の高いものとする。憲法はその次にくるのであり、効用は低いと見なさざるをえない。改憲派であればそのようになるだろう。ここで問題となってくるのは、現実と一と口にいっても、極論でいえば、それは玉虫色として受けとれるものである。どこから見るのかによってちがってくる。なので、現実を見るのについても、できるだけ遠近法的解釈として、解釈が複数あってよいとするのがのぞましそうだ。よっぽど整合性に欠けるのでないのであれば、いろいろな立場がありえるので、どれがとりわけ正しいのかは一概には言えそうにない。