集団の長としての、建て前が守られたうえで発言がなされればよかったのだろう

 自衛隊としてもお願いしたい。防衛相をつとめる稲田朋美大臣は、選挙演説でこのようなことを述べた。それが波紋を呼んでいる。自衛隊を政治利用したと受けとられかねない。それで非難を受けているようだ。

 自衛隊を政治利用することは、政治的中立に反することになる。明らかに法に違反しているとの見かたもある。そこで、野党などは稲田防衛相の罷免を求めている。この求めを政権与党は退けた。与党と近しい日本維新の会松井一郎代表も、罷免はしなくてよいと述べている。窮地におちいっている稲田防衛相を、まわりの者が防衛しているようなあんばいだろうか。

 稲田氏が属する自由民主党の関係者からは、どうしてこのようなことを(稲田氏が)言ったのかがさっぱりわからない、とする声も上がっているという。しかし、稲田氏の日ごろからもっているであろう政治思想をふまえれば、むしろつじつまが合っている発言といえるのではないかという気がする。個人よりは集団を重んじる思想をもっているのだろうから、自衛隊を一つの集団として、それを束ねる長の意思がもっとも優先される。そうした全体論による発想をとっていてもおかしくはない。

 ほんらい、自衛隊は政治的に中立であることがいるとされる。しかし、稲田氏の日ごろから抱いているであろう思想をふまえてみると、この中立性がないがしろにされていても不思議ではない。中立をよしとするのではなく、もっと実質にふみこんでゆくような立場をとっているであろうからである。そうして実質にふみこむと、それをよしとしてくれる支持者もいるだろうけど、中立がないがしろになる面はいなめず、それが危険さとして生じるところがあるだろう。

 脳科学者の中野信子氏は、稲田氏が司法試験を通過(合格)している点を持ち出していた。それくらい頭がよいのだから、何かきちんとした計算にもとづいて発言をしたのだろう、といったふうに見ていたようである。たしかにその可能性もなくはないだろうけど、しかし逆に、まったく計算をしていないで、日ごろ頭に抱いている思想にもとづいてごく自然に発言したおそれもある。

 ちょっと例は適切ではないかもしれないが、たとえば頭がよいとひと口にいっても、オウム真理教の幹部をつとめていた信者に高学歴の人が多かったこともあげられそうだ。高学歴で、優秀な学校に入れるような人でも、必ずしもつり合いのとれた見かたができるとはかぎらないだろう。カルトのような、実質による世界観にころっとやられてしまうこともありえる。

 中立とは、何か単一の価値が押しつけられることとはいえそうにない。さまざまな実質による価値を、それぞれの人の意向に合わせて持つことを認めることだろう。そして、できるだけ公の場ではそうした実質による価値を一方的に持ち出さないようにする。こうした中立をある公人が守ったからといって、積極的に褒められたり評価されたりすることはあまりありそうにはない。逆に、中立をないがしろにして、実質による価値をぶち上げたほうが、一部の人からの大きな支持を得られやすい。ただそうした動きには、たとえ誘因や動機づけがはたらいてしまうにせよ、危ないところがあることはたしかだと言えそうだ。