出発点となるところをいったん取り消して、原則(石破 4原則)に立ち返ってやっていったほうがよいのでは

 特定の地域の一ヶ所だけ、特区として規制をはずす。その一ヶ所に当たったのが、たまたま首相と長年のつき合いのある友だちのところだった。自由民主党安倍晋三首相は、友だちをとりたてて優遇したのだと見なされるのをたいへんに嫌って拒んでいるようだ。そこから、はじめは一ヶ所だけにかぎって特区にしていたのを、全国にまで広げようとする案を打ち出した。こうすることによって、友だちをとりたてて優遇したと見なされるのをかわす狙いである。

 ちょっとつじつまや段どりが合っていないのではないかな、といったように感じてしまった。というのも、そもそも友だちだからといってとりたてて優遇したのでないのであれば、特区を全国にまで広げることはいらないのではないだろうか。なぜ友だちをとりたてて優遇したのでないにもかかわらず、特区を全国にまで広げようとしているのか。それはいったい何のためにしようとしているものなのかがいぶかしい。かえって、友だちを優遇していたことを認めるふうな、逆効果になりはしないだろうか。

 あくまでも、友だちをとりたてて優遇したのではないが、世間の一部や野党がいろいろうるさいことを言ってくるから、しぶしぶ新しい手を打つことにしたのかもしれない。しかしそれだと、世間の一部や野党がいろいろうるさいことを言ってきたことで、それに屈服したことになりはしないだろうか。屈服したのではなくて、たんに折り合いをつけただけなのかもしれないけど、そこは折れないほうがよかったのではないかという気もする。もし友だちをとりたてて優遇していないのであれば、ぶれたり折れたりしないようにもできたのではないだろうか。

 あとから首相が打ち出した、特区を(一ヶ所ではなく)全国にまで広げる手は、もしそうする必要があるのであれば、はじめからそうするのがふさわしいものだと言える。首相が新しい案を出したことで、今度は、とってつけたような泥縄式でやろうとしているのではないか、何ていう新たな見なしかたもできてしまう。

 はじめは一ヶ所にかぎって特区を認めて、規制をとり外そうとしていた。しかしそれが友だちを優遇していると見なされたことから、特区を全国にまで広げる案を打ち出す。あらためてこの案を打ち出したところで、友だちを優遇したとする見かたが払しょくされるわけではない。なので、友だちを優遇したとする見かたを払しょくしたいのであれば、首相が新たに打ち出した案はさしたる意味がないような気がする。疑惑をかわせたことにはちょっとなってはいない。かろうじて疑惑を薄めることはできるかもしれないが。新しい案によって、公平に近づいただろう、と首相はしたいのかもしれないけど、疑惑の出発点の核のところは消せていないので、そこはとくに変わっていなさそうだ。

 はじめの一ヶ所ではなくて、全国にまで特区を広げる案は、それがうまくゆくのであればよい。ただ、市場による調整の仕組みがうまくはたらくとはかぎらないし、失敗するおそれがある。そこは万能ではないだろうから、心配な点である。

 岩盤規制を打ち壊す、なんていうのは勇ましいかけ声であり、なかにはそれが有効なものもあるのかもしれない。しかし、規制がかかっていることに意味があるものもありえる。必ずしも既得権益として悪と見なせるものばかりとはかぎらない。自生的秩序とか具体的秩序といったものがありえるので、それを外から一方的にぶち壊そうとしてしまうのも、一概によいものとはいえないおそれもあるだろう。