しつようさを持ってことにのぞみ、眠りこむのではなく、目ざめさせるようにする

 言われたことをそのままたれ流す。そのような人が大半なようなのだけど、そうではなくて、自分からきわどい質問を発して、政権の官房長官にたいして食い下がろうとする。東京新聞の記者である望月衣塑子氏は、それができるのが立派であるという気がする。

 政権の一員である官房長官からしてみれば、できるだけきわどいところを突いてこない記者のほうがのぞましい。そのように忖度するように仕向けているところがある。そして従順な人であれば、その意を自分からくむだろう。かんたんに引き下がることでよしとする。官房長官からすると、都合がよい環境が整えられることになる。

 望月氏は、そうして整えられた環境に、少しでも穴をうがとうと努めているところがありそうだ。批判というのは、このようにしてなされることがいるものだろう。整えられた環境に甘んじてしまっていてはできないことである。粘って、食い下がろうとすることではじめてとらえられてくるものがある。このようなしつようさを発揮する人が、望月氏にかぎらず、もっと何人もいるようであればのぞましい。

 辺境的な見地に立ち、中心をになう人からうとまれるくらいのしつようさがあることによって、環境が押し隠してしまっていることがあばかれるようになる。こうしてあばかれることになった矛盾や亀裂は、ものごとをとらえるさいの役に立つ。そうしたことがのぞめるだろう。ふさがれてしまっている仮止めの補てん物を、そのままにしてしまうのではなく、それをとっ払ってしまうことによって、穴が空いていることをさし示す。こうしたことはなかなかできることではないけど、柔軟な大衆的知性の一つの発揮ということができるだろう。