不倫の字の成り立ち

 不倫は、浮気することでもある。それで、不倫というのはしばしば報道によってとり上げられて、世間をにぎわすものであるけど、この語の不と倫の字について着目することもできそうだ。なんでも、倫というのは人々のまとまりをあらわすらしい。そこからすると、倫が不になるわけだから、人々のまとまりである関係性が壊れたり崩れたりするようなことをさすといえそうだ。

 家族とか夫婦というのは、そんなに大きな関係性ではなくて、基本としては小さい人と人とのつながりだろう。その形態が壊れてしまうことは、あまり喜ばしいことだとはいえそうにない。しかし、永遠に何の変わりもなく続いてゆく関係性というのはありえないものだともできる。形あるものはすべて損なわれていってしまうものだし、乱雑さ(エントロピー)がおきてしまうのを避けられそうにはない。これは自然の無常のなり行きだ。

 あらためてみると、もしかりに即物的に見ることができるとすれば、不倫というのは一つの現象であると見なすことができる。それは決してよいものであるとはいえないだろうけど、まだ不倫という言葉が当てはめられる前の段階と言ったらよいだろうか。そこに、不倫という言葉が当てはめられると、相当に悪いことであるというような印象がなりたつ。

 こういったような印象をもたらすことをふまえると、不倫という漢字のもつ力はすごいなあという気がする。もともとは、ばらして見れば、倫と不という 2つの字から成り立っているものだけど、これが組み合わさることによって、否定の意味あいが強くあらわれてくる。これは、道というのを連想させるところからくるものかもしれない。

 何か一つのあるべき道というのがあって、その道から逸れてしまうことを、あってはならないことだというふうに見なす。こういう見かたがあって、不倫というのは道から逸れてしまうようなありかただというわけである。道から逸れてしまうことはあまりよいことだとはいえないかもしれない。そのうえで、そもそもの道である制度が、その設計自体が今の時代に合わなくなってしまっていたり、無理を強いてしまっていたりするかもしれないから、道のありかた自体を見直すこともいるような気がする。