お金を使わないようにする案

 みんなが 1日 100円ずつお金を使うのを節約する。そうすれば、経済指標が悪くなり、いまの政権を倒すことができる。こうした意見があって、それが批判を受けていた。たんに見ていただけなので、とり上げるのはちょっと卑怯かもしれないが、どこがいけなかったのだろうか。

 まず、いまの政権を倒すことに価値を見いだしている人は特定の数はいるのはまちがいない。しかしそれ以外の人も少なからずいることもたしかだろう。なので、この話に乗ろうとする人ばかりではない。ウェブは不特定多数の人がいるので、特定(多もしくは少)数に理解してもらえることでも、全体に向けて協力を募ってしまうと、とうぜんのことながら、非協力な人が生じてしまう。

 お金を 1日 100円よけいに使おうといっているのではなく、使わないようにしようと言っているのだから、みんなの賛同をあるていど得やすいとも想定できる。しかし、100円お金を使わないようにしようというのは、我慢しようというのを意味するから、そこがあらためて見ると印象が悪い。なぜわざわざそんなことをしないといけないのか、との不満が生じる。

 経済指標というのは、それが悪くなってしまうよりも、よくなるにこしたことはない。たとえ雰囲気だけであるにせよ、悪いよりはよいほうが気分もどことなくよい。たとえ富のこぼれ落ちがないのだとしても、それがあるかのようなつかの間の幻想を抱けるのもある。経済指標というのは、公に属することであり、それは私よりも優先される。公は世間といってもよく、世間に楯突くことは許されるものではない。そうした空気を無視せずに読むことが、波風を立てないためにはいるのかもしれない。

 お金を 1日 100円使わないようにすれば、経済指標がもろもろ悪くなって、いまの政権を倒すことができる。これは発想としては線的である。最後の審判が下されるみたいなふうだ。いまの政権が倒れて、そのごに、少なくとも今までよりはのぞましく、よりよいありようになることをのぞんでいる。とはいっても、そこに確実性は必ずしもないわけだけど。こうした線の発想よりも、どちらかというと円によるような、循環的な、今さえよければみたいなものが好まれていそうだ。