歴史認識の自由

 自由主義では、言論の自由がある。そこにおいては、これが絶対に正しいといった歴史認識はない。こうしたふうに見てしまうと、何でもありとなってしまう。何でもありというのは、さすがにちょっとちがうような気がする。自由主義だとは言っても、立憲主義的な自由主義であるとすると、つながりとしての公への配慮みたいなのがいりそうだ。自由至上主義であれば別なのかもしれないが。

 絶対に正しいものがないとしても、それだから何でもよいとしてしまえば、自由主義史観をまねきかねない。こうしたあり方はあまりのぞましいものとは言えそうにない。過去のマイナスの歴史からの負荷がまったく無いのであれば、それは非現実的だ。公共の福祉に反しないかぎりでの言論の自由はあるわけだけど、これは多数派だけではなく、少数派にも十分な配慮がなされることがあったらよさそうである。公共のなかには、少数派も含まれているからである。

 正しいものが一つも無いというよりは、正しいものがいくつもある、というふうにも見ることができそうだ。何らかの歴史認識に価値を見いだすのであれば、それを正しいものと認めているからこそ主張することになる。正しくもないのにことさらに主張するとは見なしづらい。正しさによる精神的価値をもつわけだ。そこから、内と外のような線引きができあがる。

 内と外という線引きは、意味によるものである。この線引きは絶対的なものかというと、そうとも言い切れない。というのも、自己同一性(アイデンティティ)とは、絶対的なものではないとされるふしがある。自己同一性は、あくまでも相補的なものであるという説があるそうなのだ。こうした相補的な視点をもし欠くのであれば、ロマン的な虚偽につながってしまう。外との交通をまったくもたない内というのは原理的にありえない。

 あくまでも理想ではあるだろうが、少数派にいかに十分な配慮をすることができるのかが課題だろう。それは、自民族中心主義をできるだけ抑えて少なくしてゆくことにつながる。しかしそもそも、なんで自民族が中心になるのをあえて抑えたり少なくしたりしなければいけないのか。そうした疑問もわく。これにたいしては、排斥という暴力をできるだけふるわないですませるようになるのがのぞましいのがある。

 まわりと同化するようにうながす圧力は、空気を読むだとか、忖度だとかの、和による拘束である。その圧があまりに強すぎると問題だ。そうした同化の圧による画一化は、かえって平等を遠ざけてしまう。たんなる同質化(分身化)にすぎないからである。そこには平等が無いだけではなく、自由もまた無いだろう。

 自民族という名の固定点ないし準拠点を、しっかりとしたものとして築くのではなく、逆に壊してゆくようにする。いまの世の中の流れは、そのようではなくて、自民族を中心にもってきて、しっかりとした足場を築こうとする動きも目だつ。それはそれで、完全にまちがっていることだとは言えそうにない。もっとも、そうした足場や土台というのは、大きな物語(大きな言葉)であり、しばしばねつ造されてできあがるものではある。

 自由のみならず、友好や連帯も少なからず失われつつあり、他との敵対の空気がおきつつあるのも無視できないだろう。この敵対の空気は、市民社会の常態である。そこでは、質をないがしろにした、経済の量的な論理が幅をきかす。くわえて、自民族という名の固定点や準拠点の発想からきているところもある。こうした空気を少しでも変えてゆくためには、包摂からとりこぼされている、排斥されがちな少数者や弱者にもっとまともに目を向けることがいるのだろう。