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一コマ漫画での政治のあつかい

 日本のお笑いでは、政治がとり上げられづらい。欧米だと、政治がお笑いの題材として使われるものだという。もっと日本でも、欧米のようにしてお笑いで政治がとり上げられるようになればよい。そもそも、なんで日本では、お笑いで政治がとり上げづらいのだろう。そこには色々な理由があるのかもしれない。

 新聞の一コマ漫画では、日本でも政治がお笑いみたいなふうにして、題材として使われている。この一コマ漫画だと、あまり目をつけられづらいのだろうか。それとも、絵の内容自体がそれなりにおもしろいから、笑って許されるということなのかな。理と気でいうと、まあ漫画だから、ということで、理ではなく気の面が大きくはたらく。

 漫画では、大別すると、コミック(物語)とナンセンス、という違いがあるみたい。コミックだとあるていどの長さによって展開する、筋(ストーリー)をもつものである。いっぽうナンセンスではごく短く完結するものだという。この区分においては、一コマ漫画はナンセンスにあたりそうだ。

 ふつう政治というと、激しく意見が対立したり、深刻なふうになってしまいがちである。重いものである。理の空間だ。それを軽くあつかえるのが一コマ漫画なのかもしれない。意味が軽くなるぶんだけ、ちょっと息が抜けるようになる。そうしたことがやりやすい形式であり媒体だというのはありそうである。ほかのものだと、どうしても意味が軽くなりづらいため、重さが保たれてしまう。だからお笑いにできづらいのだろう。

 一コマ漫画にかぎらず、ほかにも似たようなものとしては、川柳なんかが挙げられそうだ。新聞のなかにある、川柳が載せてあるコーナーがあり、そこでは少しだけ政治に言及しているものがある。または、ラジオ番組なんかで、一つのコーナーとして川柳が扱われていて、その中で政治がとり上げられているのもある。ここでは、ナンセンスまたはノンセンスとして、(すべての人が共感するのではないにせよ)受け手への共感によって、楽しめる形で昇華されている。

 一コマ漫画であっても、禁忌を明らさまにおかす攻撃的な風刺なんかだとまずい。これだとおもいっきり角が立ってしまう。できるだけ、やんわりしたふうにして、ちくりと刺すくらいがちょうどよいあんばいなのだろう。どちらにもとれるようにしておくのが風刺のコツなのだという。すごく大きな価値をもつとされているものが、ほんとうはそうでもないとして、価値を下げられる。そこに落差が生じる。緊張と緩和がおきるので、こっけいにかんじられるというあんばいだ。力んでいたのがやや脱力する。素人なので、もしかしたら間違っているかもしれないけど。

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