風のなりゆき

 神風が吹いた。そうした自己認識による、自分をとりまく状況にたいする肯定的な解釈がある。しかし、この認識には危ういところがあるという気がする。うまく行っていて、のぼり調子に見えているときというのは、そののぼってゆく角度が鋭角であればあるほど、あとで逆に落ちてしまうときの角度も急であることが予想できる。

 そうしたわけで、自分に神風が吹いているときは、あとで剣呑なことになるのを示す負のしるしだと受けとることもできるのではないか。神風というのは、自分の背中を押してくれる追い風であるとすると、いっけん有利にはたらきそうではあるが、しかしそれは必ずしもあとで風の向きが変わらないことを保証するものではない。

 神風の最大瞬間風速がいかに強かろうとも、どこかで旋回点がくるとして、身構えておいて、心づもりの上であってもいちおうは備えておいたほうが、すべてを失うまでにはいたらなくてすむのかも。