私人に妥当するか

 妻は私人である。安倍晋三首相は、国会において、野党の投げた質問にたいしてこう答えたという。公人ではないというわけだ。しかし、これはちょっと苦しいのではないか。選挙で選ばれてはいないため、昭恵夫人は権力者ではなくまた政治家でもない。しかし一般人とも言いがたい。一家の収入として公金が投入されているのがひとつには大きい。首相の政治活動の手助けをすることもあるだろうし、少なくとも私人とは異なった特殊な立場にあることはたしかだろう。

 首相はおそらく、夫人をおもんばかり、かばうための気心がはたらいたというのもあり、私人であるという受け答えをしたと察せられる。その夫人を気づかう心は、悪いこととはいえないかもしれない。しかし、首相と夫人とのあいだで、政治的な思想において、同じ価値観を共有していないとは考えづらい。もし価値観がまっこうから異なっていれば、夫人が活動するほどに首相の足を引っぱることになるから、それは現実的ではないといえる。

 すべての面で価値観が一致するわけではないだろうが、夫人の口から首相の思いを代弁することも少なからずありそうだ。なので、そうした点をふまえると、都合のよい(悪い)ときだけ私人であるとして見なすことはちょっと難しそうである。ふだん表立ってなんの活動も発言もしていないのであれば、まだわからないでもない。そうではなくて、なんらかの形で首相の政治活動を支えて補っているとすれば、純粋に私人(一般人)であるとは言い切れないだろう。