睨みによる統治

 ドナルド・トランプ大統領は、にらみをきかせる。睥睨をする。そうしたふうにして威圧する言動が多少目立つ。これは、民俗学でいわれる御霊信仰からも見ることができるのではないかという気がした。アメリカの威光というのがあって、それが通用しているところに対しては、にらみが有効にはたらいている。たとえば日本の安倍晋三首相や、トヨタ自動車は、できるだけトランプ大統領にとり入るようなふうにすばやく動こうとしている。

 そうしたとり入る動きというのが、いいか悪いかは賛否が分かれるかもしれない。いずれにせよアメリカは、世界でも有数の経済規模をもつ大国なのだから、そこにとり入ることによって、めぐりめぐって日本の国益にもつながることになる。少なくともそういう計算はなりたつ。うまく行けば両方ともに益となるウィン・ウィンの関係になれば、お互いに丸く収まる。うまく行かなかったとしても、とり入っておいてとりあえず損はない。そういう見込みだろう。

 アメリカの国の威光というのが、かつてより落ちてきてしまっているのが、事をたやすく運ばせない点の一つになっていそうである。威光が落ちているぶん、(御霊信仰による)生き霊としてのにらみもそこまで強くはたらきづらい。むしろ、国内外にいらぬ火種をまき散らしてしまっていることにすらなってしまっている。一部からの強い反発をまねいているわけだ。これだけ複雑化した時代に、一人のひとが、大きな共同体をとりまとめて統合するのは、無理やり現実をねじ曲げることなどがいる。とてもではないが正攻法のまともなやり方を用いてできることではない。

 これが日本だと、アメリカよりはずっとにらみがききやすい。安倍首相は、日本人がおおむね権威に対して弱いところを、うまく活用しているふしがある。権威者からひとにらみをきかせられると、たちどころにまわりが忖度をはたらかせる。あまり他人のことばかり責められはしないのはたしかなんだけど、これは日本人が空気を読むことに長けていることから来ているものだろう。そのぶんだけ、空気による和の拘束をたやすく被ってしまう面があることはいなめない。関係性が重んじられるために、それが優位を占めることになる。

 安倍首相とトランプ大統領は、おたがいに波長が合う、というふうにもいわれている。これは、おたがいが生き霊どうしだからというのもあるかな。にらみをきかせる戦法をとっている同士ということである。日本のなかでは親方日の丸の心性をうまく体現しているわけだけど、対アメリカにおいては、アメリカが(日本にとっての)親方になる、というふうなところがありそうだ。

 にらまれるのは、標的にされることでもある。まずは、因縁をつけられて、標的に選ばれてしまったことが不幸といえばいえそうだ。力関係の要素も無視はできないものだから、そこに変に抗ってみても、かえって事態がこじれてしまうおそれがある。そこは、世渡りの難しさと同じところがあるのだろうか。ぶつかり合うでもなく、かといって完全に従えられるでもなく、そのどちらでもないあいまいなところへうまく逃げるみたいなことができればさいわいだ。