増殖する像

 最終的かつ不可逆的な解決として合意がなされる。従軍慰安婦問題にたいしての合意が 1年前に日本と韓国のあいだでおこなわれた。日本側から韓国側の財団へ 10億円のお金が拠出されている。しかし、こうした問題においては、白か黒かというふうに割り切ることはむずかしく、どちらかがごねれば、たちどころにこじれてしまうのが現実だろう。決着がつかない性質のことがらと見たほうがよい。

 合意がなされ、10億円のお金が払われているわけだけど、依然として慰安婦像は増えつづけているという。これは、キリスト教における三位一体のありようが当てはめられそうだ。学者の中沢新一氏によると、父と子と精霊による三位一体は、神のもつ 3つの面(ペルソナ)のようなものなのだそうだ。

 慰安婦像というのは、三位一体においては精霊として、増殖する力をもつ。なので、その力を止めがたいところがある。経済でいう貨幣となっているのだ。貨幣というのは、信用と必要(目的)によって生み出されるものだという。貨幣に羽が生えれば、それは地域を超えて、世界にまで広がってゆく。

 三位一体における精霊とは、悪い言い換え方になってしまうかもしれないが、はたしてお化け(化け物)と幽霊のどちらにあたるだろうか。前者であればユング的で集合意識的である。後者であればフロイト的で個人の無意識による。

 日本にとっては、頭を悩ませる問題であり、さしずめフロイト的な幽霊の面をもつ。日本という一民族にとっては、慰安婦像を増やしつづけられ、世界に広められては、痛手をこうむる。何とか止めてほしいものだが、それは日本の過去の所業が悪いからだと言われるとなす術があまりない。

 韓国側のもくろみとしては、慰安婦像の精霊としての増殖する力をもちつづけて、さらに高めてゆきたい。いわば、もともとが一民族のものであったものを、普遍化させようとしてるわけである。これは、ユング的な集合意識にまでもってゆこうとしていることを意味する。

 こうした韓国側のもくろみからくる動きにたいして、なぜ日本側は手を焼いてしまうのだろうか。それは、ひとつには、先にあるように、三位一体という骨組みの裏づけがはたらいてしまっているせいではないだろうか。

 慰安婦像とは、韓国においての国の象徴の価値をもつ。そうしたものをやすやすと手放すことは考えがたい。日本はこれにたいして、どうにかして像を建てるのを止めさせたいとする気持ちをもつ。するとそこに政治のぶつかり合いが生じる。日本は 10億円のお金を出し、利益で誘導しようとしたわけだ。お金はある程度は出さざるをえないものではあるが、打つ手としては安易といえばいえてしまう面もある。

 どこまでのしつようさを持っているのかは分からないが、そう簡単にあきらめてくれたり、手を引いてくれたりすることはあまり考えづらい。のぞましいのは、国際連合などの国際機関が、国どうしのいさかいやもめごとの仲裁をしてくれたらよいものだが、現状ではおよそ期待はできない。いまの国際連合の手にあまる問題はあまりにもたくさんあるのだから、いたずらに責めるのは酷ではあるが。

 世界に目を転じれば、全体として秩序が失われつつある。混沌がおきつつあり、流動化しつつあるともいえそうだ。乱雑さが増えつづけている。そうしたなかで、ひとところにとどまり続けようとすれば、風評や評判が落ちるのは致命的だ。神経をいつも尖らせていないとならない。気が疲れるばかりだ。

 ひとつのところにとどまるのではなく、むしろ漂流するというのはどうだろうか。禅では白雲無根ともいわれ、根をもたない雲のように、気分のうえで漂うのである。何とも頼りないあり方ではあるが、いつも気を張っているよりかは少しは気が安らぐものだろう。他力によってはいるが、そのうち問題も解決しているかもしれない。

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