救助の費用を誰がもつべきか

 山に登って、禁止とされている区域に入ってしまう。そこでもし遭難して、救助されたら、費用は国がもつのか、それとも遭難した人に全額払わせるのか。そういう話題をテレビ番組でやっていた。集計の結果では、視聴者の人はかなり高い割合(5/6)で、遭難した人に全額払わせるべきだと出ていた。

 この結果にはちょっとだけ驚いたところがある。でも、自己責任で遭難したともいえるから、自分で払わせるべきだとするのは筋が通っていないわけではない。国の予算にはかぎりがあるのだから、そう安くはない救助費用を国が肩代わりするのだと、ほかのところに使うべきお金が削られかねないといえる。

 ひとついえるのは、もしあとで全額を払わせるようだと、国が遭難者を救助する意義が薄れてしまう点がある。国が遭難者を救うのは無条件である。この無条件というのは、あとで自分で全額を払わせるのと両立しがたく、どうしても矛盾してしまう。つまり、あとで自分で全額を払わせるのであれば、それは無条件で救う前提が崩れることを意味するわけである。

 たとえどんなことがあっても、国は遭難者を(人命第一の観点から)救助するのだから、それは裏返せば、国が勝手に遭難者を救助しているともいえなくはない。なので、勝手にしたがゆえに国がその費用をもつのだとすれば、説明としてはすっきりするのではないか。

 勝手にというと言いかたが悪かったかもしれないが、これは、知っていながら人命の危機を放ってはおかないといった意味である。もしその前提に立つのだとすると、いわば父権主義的なやりかたをとるため、費用の面まで尻を拭ってあげたほうがいちおう理にかなっている。そうではなく、救ってはくれるが、費用はもたない(自分で払え)となると、それなら最初から放任主義でいてくれ、という意見も成り立つ。

 あと、立ち入り禁止区域の存在について、それを事前に知っていて立ち入ったのか、知らずにうっかりなのかについてもちがいがある。事前に知っていたなら自己責任の面があるが、もし知らずにうっかりと立ち入ってしまったのであれば、事情が少し変わってくるのではないか。

 いちばん問題なのは、一回の救助にかかる費用が高額なことである。この費用の高額さについては、登山者に注意を喚起しておいたり、山などの自然の怖さや危険さをよく周知しておくなどの手が打てる。それでも事故をゼロにはできないだろうけど、かといってそこまで頻ぱんにおきるものではないだろう。

 頻ぱんにはおきないからとはいえ、一回の費用が高額なのがやっぱり引っかかるところである。一円も無駄にするべきでない大切な血税なわけだけど、少し割り切るふうにして、国にとっての宣伝費として見るのはどうだろうか。国民の命を守りますよという。そのさい、経済学でいわれる埋没費用のようなふうになる。

 もちろん人命は大事であることはたしかだが、ほんらい事故さえおきなければ使うことがいらなかったお金が、消えて無くなってしまったところがなくはない。しかも、ルールを守っていてならともかく、ルールを破ってしまっているのが厳しい。ルールを破り、人様に迷惑をかける。この 2点が組み合わさると、日本社会の掟をふみにじり、心情を逆なでしてしまう。もっとも、たとえルールを破っていても、それが単独ではなく皆んなでなら問題はないのだろうけど。