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石油の枯渇

 石炭は植物からできている。そして石油は植物や動物などからつくられたものなのかな。じつはそうではなくて、石油は無機物である鉱物などからできたものだとする説もあるみたい。これを石油無機成因論というそうだ。この説によれば、地球の地下にはどこを掘ってもだいたい石油が堆積していることになる。ありふれたものになるため、石油資源の枯渇を心配することは、すくなくとも当面のあいだはいらない。

 すごく夢のある説だなあという気がする。もし、人間が使い尽くせないほどの量の堆積が地下にあるとすれば、空気に近いほどとるに足りないものになるのだろうか。ただ、あまりばんばん使ってしまうようだと、地球温暖化が加速するおそれもいなめない。

 いや、地球はむしろ温暖化ではなく寒冷化に向かっているのだとする説も見かけたことがある。そうなると、それほど化石燃料を使いすぎることに気をもむこともいらない。いずれにせよ、急激な地球の環境の変化は人間の首をしめることになるのはまちがいない。

 石油がはたしてどれくらいの埋蔵量であるのかは、財政と少し似ていそうだ。国の財政の赤字や赤字国債なんかは、いくら増えても何の問題もないのだとする見方もある。むしろよいことですらある。この見方は、石油でいえば、無尽蔵なほどの量が地下に蓄えられているのに等しい。それなのに、使用量を制限したり減らそうとするのは愚かである。まちがった観念にとらわれているのだ。

 基本としては、地球にある燃料資源などは、ほぼすべて太陽に由来している。そこで、太陽からのエネルギーを効率的に受けとれれば、エネルギーが使い放題になる。そこまではたして科学技術が進歩するのかどうかは定かではないが、まったくの夢物語でもなさそうだ。理想郷のあり方のひとつだろう。

 いちばん無難なのは、今のままのあり方のように、限度を設けたうえで、制限して使ってゆくことである。これが危険性としてはわりあい低いだろう。そうではなく、量が使い切れないほどあるとして、どんどん消費していってしまおうとする意思決定も(全人類の合意なんかがあれば)できなくはない。じっさいにそうなのかもしれないし、そうであれば使い切る心配は杞憂にすぎない。

 ブレーキをきかせつつなのか、それともアクセルを踏みっぱなしにするのかといったちがいである。この点については、たとえば石油でいえば、どちらの道でゆくのかを決める意思決定においてこそ、ブレーキをきかせるのがよいのだろう。つまり、慎重に見てゆくことがいる。調査などで正確に近いデータをふまえることもいるだろうし。

 そのように、意思決定にブレーキをきかせるのでは、歯がゆいことも事実である。もどかしい。思い切って、勇ましい決断にたいするアクセルを強く吹かせたくなるのは人情でもある。しかし、そのように果敢に決断して、みごとに大失敗してしまった例は過去に見うけられるのもたしかだ。けっきょく悲惨な目を見るのは誰なのかも多少は想像したいところである。

 話がやや一般論になってしまった。そのうえで、意思決定するのには、瀬踏みしてゆくようにして、石橋を叩いて渡るようにしたほうがよいだろうと個人的には思う。もっとも、見切り発車的にやって結果がうまくゆくこともあるだろうが、ほとんど博打に近い。あとは、現状にこだわらず、いろいろな可能性としての仮想をとるのも有益だろう。

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