万博とお笑いの関係を考察

万博をお笑いの点から見てみる。そうするとどういったことが見えてくるだろうか。 二〇二五年に関西で開かれるのが万博だ。 万博をよしとする。お笑いでは、お笑い芸人の人で、そうした人がいる。万博に協調しているお笑いの芸人だ。 すべてのお笑いの芸人が…

論理と修辞から見たイスラエルの定義づけ

パレスチナの人たちを排除しているのがイスラエルの国だ。 世界の色々な人たちから、イスラエルに批判の声が投げかけられている。日本でもイスラエルへの批判の声があげられている。 論理と修辞の点から、イスラエルを見てみる。そうするとどういったことが…

検討するべき選択肢:万博かそれとも復興か

二つに一つなのではない。万博と復興は、二者択一ではない。野党の日本維新の会の政治家は、そう言う。 二者択一ではないのだから、万博をやり、復興もやる。その二つのどちらも共にできるのだろうか。両立することができるのだろうか。 関西でひらかれるの…

政治におけるうら金の語の定義づけとその重要性

定義づけしづらいものなのが、うら金だ。岸田首相はそう言う。定義づけすることに消極でありうしろ向きである。 はっきりとは定義づけしづらいものなのが、政治におけるうら金なのだろうか。 逆にいえば、定義づけすることの重要さが浮かび上がってくるもの…

政治のうら金におけるお金の線引きの政治性と、体系(system)の再構築

政治家が、うら金をためこむ。 検察が、うら金を捜査した。お金の額で線引きをした。線引きのし方を見てみるとどういったことが見えてくるだろうか。 うら金の額がある。四〇〇〇万円を超えたら、検察が起訴する。その額を超えなかったら、起訴しない。線引…

教養が欠けた日本の国の過去と、群馬県の県の公園の碑(ひ)

県の公園の、歴史にまつわる記念の碑(ひ)を、とり去った。 群馬県は、県の公園にあった朝鮮の人たちにまつわる碑をとり去ったが、それをどのように見なせるだろうか。 かつてにおいて、日本の国は朝鮮の人たちを労働者として強制に日本に連行した。ひどい条…

お笑いの芸人の活動の休止と、枠組み(paradigm)の変化

いま、日本の大ものの男性のお笑いの芸人が、活動を休んでいる。そのことを枠組み(paradigm)の点から見てみるとどう見られるだろうか。 性のぎわくが持ち上がっているのが大もののお笑いの芸人だ。週刊誌の記事でとり上げられた。裁判をやっているのがあり、…

立憲民主党の利他と利己のかっとう(dilemma)

立憲民主党が、自民と共闘した。 京都の市長の選挙で、野党の立憲民主党は、与党の自由民主党と組んだ。それは悪いことだったのだろうか。 反共(反共産主義)によって、立憲民主党と自民は選挙で組んだのがあり、かなり多くの批判が立憲民主党には投げかけら…

自民党の政治家の脱税の問題を演繹(えんえき)によって検証

脱税をしているのが自民党の政治家たちだ。税金のどろぼうだ。そう言われているのがある。 うら金のことで、与党である自由民主党の政治家は脱税をしているのがあるとすると、それは許されるのだろうか。どろぼうが政権をになっていてよいのだろうか。 脱税…

論理の欠如と言葉の崩壊による政治の不信

うら金についてを、言葉の点から見てみる。 言葉の点から、政治の不正なお金であるうら金のことを見てみたい。 与党である自由民主党で、政治家や派閥(はばつ)のうら金のことがとり沙汰されている。言葉の点からそれを見てみるとどういったことが見えてくる…

選挙と政治の対立-立憲と自民の共闘

立憲が、自民と組んだ。自民と共闘した。選挙においてである。 共産党などの左派と、自民党が対立する。その中で、立憲は自民党といっしょになったのである。 京都市の市長の選挙では、野党の立憲民主党が与党の自由民主党と組んだ。それで自民党がおす候補…

派閥と自由主義(liberalism): 政治の闇にひそむ(悪い意味での)共同体主義とは

良くないものなのがはばつだ。うら金をためこむことがはばつにおいてなされていた。 与党である自由民主党の派閥(はばつ)で、うら金を作ることがなされていた。そのことを受けて、派閥をなくすことが進められているけど、それでよいのだろうか。 派閥を政策…

理想論と現実論のあいだ─検察の捜査の限界

政治のうら金を、捜査して行く。 与党である自由民主党の政治家のうら金を検察が捜査した。捜査では、いったい何が求められていたのだろうか。検察に国民は何を求めていたのだろうか。 核心と周辺の二つにふ分けしてみたい。 国民が検察に求めていたのは、核…

枠組み(framework)のずれによる被災者の救済の問題

助けの手がとぼしい。それで、難民になってしまう。難民化してしまう。被災した地の人たちがである。 こんかいの能登(のと)半島の大きな地震で、被災した地の人たちが難民になっている。そう言われているのがあるけど、それをどのように見なすことができるだ…

お金という言葉の遊び(game)について考える

政治家が、うら金をためこむ。 うら金をためていた政治家は、ほとんどつかまっていない。うら金の額が三〇〇〇万円を超えたほんの数人の(大ものではない)政治家しかつかまっていないのである。 うら金をためていた政治家はほとんどつかまっていないけど、そ…

道徳や愛国よりも、視点や立ち場の反転の可能性の試し(test)を

うら金をためこむ。政治の不透明なお金をためていたのが、与党である自由民主党のはばつである。 うら金のことにおける、問題の所在とはいったい何なのだろうか。 問題の所在としては、特殊と普遍(ふへん)がある。 特殊であればあるほど、政治家がうら金をた…

お笑い芸人の危機の管理(crisis management)と、社会における役割

芸能人が、性の加害をなした。そのうたがいが、週刊誌で報じられている。 男性の大もののお笑い芸人が、性の加害をなしたぎわくがある。ぎわくを受けて、お笑い芸人は芸能の活動を休んでいる。活動を休みながら、裁判で争うかまえだ。紛争を片づける一つの手…

格差と差別を改善するための贈与の原理

すぐに被災した地へ行く。政治家が、すぐに被災した地に入る。 野党の政治家で、すぐに被災した地に行った政治家がいる。野党のれいわ新選組の代表である山本太郎氏などだ。 こんかいの能登(のと)半島の大きな地震で、すぐに被災地に行った野党の政治家は、…

ねずみたちの矛盾 ―検察の失敗―

政治家を、検察が捜査する。 捜査を行なう主体は検察だ。行動者なのが主体である。 政治家は客体だ。相手なのが客体である。 主体と客体を、動物になぞらえてみると、どういったとらえ方ができるだろうか。 検察はねずみである。政治家はねこだ。 自由民主党…

日本の表象と現実:国どうしが複合で相互に依存し合う関係

祖国のために、あなたは戦えるか。その問いかけがなされていた。 祖国のために、国民が戦う。それはいることなのだろうか。問いかけにたいしてどのように受け答えることができるのだろうか。 祖国の語がある。問いかけの中にその語があるけど、それを国体(na…

政策づくりの難しさと科学(のゆとり)の重要性:自民党の課題

はばつをなくす。政策の集団に改めて行く。自民党はそう言う。 うら金をためこむ。その悪さをなくすために、派閥(はばつ)をなくして、政策の集団にして行く。それをやることが、自由民主党にできるのだろうか。 記号の点から見てみたい。呼び名としての派閥…

政治の思想の傾向(ideology)とうら金の関係性を探る

思想の傾向の点から、うら金を見てみる。そうするとどういったことが見えてくるだろうか。 政治のうら金がある。政治のお金について批判をしていたのが、野党だったさいの自由民主党だ。 与党の政治家のお金のぎわくを批判していたのが、野党だったときの自…

政治家のうら金と罪責

政治で、うら金をためこむ。そのことで、政治家はつかまらない。その代わりに、秘書や(はばつの)会計の責任者が罪を問われている。 うら金をためこんでいたのは、派閥(はばつ)にぞくする政治家たちだ。それなのに、政治家は罪をまぬがれて、秘書や会計の責任…

政治家の原理:行動するための基盤(base)となるもの

政治家が、原理(principle)をもつ。それによって政治家が行動を行なう。 日本では、原理をもっている政治家が少ない。原理にしたがって行動する政治家は多くない。転向することがおきがちだ。大きくぶれてしまう。 原理の点から、被災地にすぐに行った野党の…

復興と万博、二つの選択肢

万博か、復興か。その二つのどちらがいるのかが問いかけられている。 復興とは、能登(のと)半島でおきた大地震の復興である。 万博かそれとも復興かの、二者択一なのではない。日本維新の会の政治家はそう言う。 たしかに、あれかこれかの二者択一ではなくて…

政治の二大の要点としての、お金と語り(カタリ)――政治の刷新(さっしん)

お金と語りがある。政治の二大の要点である。 政治の刷新(さっしん)の本部をおく。うら金の捜査のことで、与党である自由民主党はそれを定めた。 お金と語りの点から、自民党の政治刷新本部についてを見てみるとどのようなことが見えてくるだろうか。 野党で…

野党の政治家に何ができるか : 被災地に行っていったい何ができるか

なんで、野党の政治家が被災地に行ったことが批判されるのだろうか。 ひとつには、与党と野党では、野党は下だ。おとっている。日本ではそうした位置づけになっているのが関わっていそうだ。階層(class)で、野党は劣なのである。 野党の政治家なんぞが被災地…

被災した地に行く(野党の)政治家の行動:正義と不正のはざ間で

政治家が、被災地に行く。すぐに政治家が被災地に行くのは、正義なのだろうか。それとも不正なことなのだろうか。 こんかいの能登(のと)半島の大きな地震では、政治家がすぐに被災地に行くのは不正だとされているのがある。上から行かないように求められてい…

野党の政治家の被災した地への訪問をめぐる意見(異見)の対立

国の政治家が、被災地に行く。行った政治家が、批判を受けている。 野党の政治家が被災地に行ったことが批判されているのをどのように見なせるだろうか。 行動と反応の組みがある。反応が、まっ二つに分かれている。 行動そのものがどうなのか。それだけでは…

被災した地への政治家の訪問は必要か : 必要性のあり無しと、許容性のあり無し

被災した地に、政治家はすぐに行くべきなのだろうか。すぐにおもむくべきなのだろうか。 じゃまになる。さまたげになる。うかつに政治家が被災した地に行くと、ほかの人のじゃまになりかねないから、行くべきではない。行くのだとしたら、時間がたってあるて…