世界の紛争の地がある。
紛争の地にいる人たちがいる。その人たちを、ぜい弱性(vulnerability)や被悪玉化の度合い(scapegoatability)の点から見てみるとどういったことがわかるだろうか。
いま世界においてもっとも被悪玉化の度合い(goatability)が高いものの一つなのが、パレスチナの人たちだろう。
比べてみると、ウクライナの人たちよりも、パレスチナの人たちのほうが、より被悪玉化の度合いが高い。
より深刻なのが、ウクライナの人たちよりもパレスチナの人たちだ。なぜなのかといえば、日本における万博でのほかの国々のあつかいをあげられる。
これから開かれる万博(日本国際博覧会)においては、ウクライナに暴力をふるっているロシアは参加がよしとされていない。参加するべきではないとされている。ところが、パレスチナに暴力をふるっているイスラエルは参加が許されているのである。
ロシアが万博に参加するのがだめなのであれば、イスラエルもまた参加が認められるべきではない。どちらの国も、ほかの国や地域に暴力をふるって戦争をしかけているのだから、同じあつかいでないと平等だとはいえそうにない。
ぜい弱性や被悪玉化の度合いが高い人たちを、救い出す。従属の階層(class)や被収奪者(subaltern)の人たちをすくう。どういう人たちがそれに当たるのかといえば、ウクライナの人たちやパレスチナの人たちだろう。そのほかにも世界のさまざまなところに被収奪者がいる。
ていどで見てみると、ウクライナの人たちは被収奪者に当たるけど、それよりももっといっそうていどがひどいのが、パレスチナの人たちだろう。被収奪者になっているていどがより深い。
ていどの軽さと重さで、軽いものは放ったらかしでもよいとはいえそうにない。ていどが軽いものには照明が当てられなくなってしまう。それだと被収奪者のままにさせられてしまう。照明をできるだけ当てて行く。関心を持って行く。自明性によるのだったり、疎遠な外部によるのだったりしないようにして行きたい。
よりていどが重いのがパレスチナの人たちだけど、それだとていどがそれよりも少し軽いウクライナの人たちに照明が強く当たらなくなってしまう。これまでよりも照明が当てられなくなり、関心が向かなくなってしまうから、関心を持続して持ちつづけることがいる。
万博においてのあつかいなんかからすると、ロシアにたいするあつかいはまだ良い。ロシアは悪いことをやっているから、万博への参加がこばまれている。そのいっぽうで、イスラエルにたいするあつかいはおかしい。イスラエルへのあつかいがおかしいから、パレスチナの人たちの被悪玉化の度合いが高まってしまっている。
どういう人たちが、暴力を振るわれやすくなっているのか。暴力が振るわれやすい度合いからすると、いまはパレスチナの人たちがそれがもっとも高い人たちの一つに当たる。
度合いが高くなっているのを下げるためには、せめてイスラエルについてをロシアと同じくらいのあつかいにするべきだ。ほんとうはどちらの国も同じくらい悪いのに、イスラエルは良くてロシアは悪いとしてしまっているから、パレスチナの人たちの被悪玉化の度合いがうんと高まっていて、まずい状況だ。
参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき) 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『ポストコロニアル 思考のフロンティア』小森陽一